絶滅危機にある菓子木型、見た目も美しい和菓子文化を一緒に広めてほしい

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市原吉博(いちはら・よしひろ)/菓子木型職人

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香川県高松市花園町在住。24歳から菓子木型販売の仕事を勤め、28歳から自身も菓子木型職人となる。厚生労働大臣より、卓越技能章「現代の名工」を授与された伝統工芸士。培った技術とアイデアの全てを注ぎ、方寸の木型の中に宇宙を表す。

ホームページ
http://ww8.tiki.ne.jp/~kigata/

経歴
1968年 家業の木型の卸業に従事
1973年 木型職人として彫り始める
1999年 香川県の伝統工芸品に菓子木型が指定、同時に県の伝統工芸士認定を受ける
2004年 厚生労働大臣より、卓越技能章「現代の名工」を授与される
2006年 黄綬褒章拝受
ルイヴィトン記念饅頭木型作成
銀座三越・日本橋三越の装飾用木型作成
2007年 ニューヨーク「ドコモダケアート展」干菓子木型作成
2009年 和三盆体験ルーム「豆花」を開設
2011年 菓子木型和三盆キットが、香川県産品コンクール「最優秀賞」を受賞
2012年 東京芸術大学で非常勤講師
2014年 タックスフリーのポスターの現型作成


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私の地元・香川県には、昔から伝わる伝統工芸が数多く存在しています。その中でも、私が手掛けるのは、江戸時代から続く、和菓子づくりには欠かせない伝統工芸「菓子木型」です。菓子木型とは、和菓子文化の裏方であり、和菓子職人が美しい菓子を作ることができるよう、花や魚などの図柄を形にするための道具です。そんな菓子木型を作る職人は減少の一途をたどっており、現在では全国でも数人しかおりません。しかし、菓子木型職人が自分の天職であると信じ、自分の作った木型がいい人生を歩めるよう、日々魂を込めて作ります。

 

 

菓子木型の販売から作り手へ ゼロからのスタート

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私は四国学院短期大学の英語科を卒業後、地元の電気屋に就職していましたが、4年後に火災でお店が焼失してしまい、その後仕方なく、父親が経営する菓子木型の卸業に就いたことが全ての始まりです。ちょうど24歳のころでした。

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始めは営業を担当していましたが、お客さんから「ちょっと欠けたから直してくれ」なんて声に応えるために、28歳ころから自分で彫ることも始めました。最初は小さな修理から始まったんです。当然初めからできたわけじゃない。商品を卸している仕入先の人からアドバイスをもらいながら、少しずつ実戦と練習を重ねて、自分ができる領域を広げていったのです。

しかし、一から自分で作れるようになって、いざ注文を受けると不安でいっぱいでした。使ったお客さんは満足してくれるだろうか、万が一お客さんの要望に応えることができなければ、修正が必要になります。最初はそうした直しの依頼も多かった。すると、どれだけ時間をかけても完成しないんじゃないかという恐怖心が襲ってくるのです。また直しの依頼が多いということは、お客さんの要望を形にできていないということ。ある意味で職人の腕のバロメーターなんです。

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これを克服するためには、自分の腕を磨くしかない。私は長年かけて技術を向上させて、この恐怖を克服しました。「継続は力なり」という言葉があるように、苦しいときを耐えて辛抱してきたからこそ、今の私には自信があります。今では納品後の直しの依頼もほとんどありません。どんな難しい注文でも、責任を持って形にします。

 

 

樹齢100年を超える山桜から生まれる“和菓子の源”

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菓子木型は、和菓子を成型する際に用いる木型のことであり、花や魚などの図柄を形にする道具。樹齢100年を超える山桜の木を用い、何種類ものノミや彫刻刀で、左右と凸凹を逆に彫って作り上げる。完成した木型を2枚重ね合わせて、砂糖や餡な

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どの材料を入れて抜き出すことで、さまざまな形の和菓子が生まれます。

私が使う山桜は、四国の山々から材木屋さんがぴったりの木を探してきてくれるんです。また採った木はそのまま使えるのかというと、そうじゃない。採ってから2年乾燥させた後、さらに3年間は置いて寝かせる必要があるため、私のところにやってくるまで5年はかかります。

それほどまでして、山桜を使うのには理由があります。木には導管と呼ばれる、人間でいうところの血管の役割を果たす管があります。山桜はゆっくりと時間をかけて育つため、この導管が非常に細いんです。だから菓子の抜けがいい。

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また昨今では和菓子の枠を飛び越えて、異業種のお客さんもみえるようになりました。デパートのディスプレイとして採用されたり、ガラス作家さんが木型を用いた作品を創ったり、本来の用途とは別のところでも、その美しさが評価されています。木型マニアの方も大勢いらっしゃるんですよ。

 

 

東北の人々との出会いと交流、一期一会を忘れずに感謝

▲工房見学に来た子どもたち
▲工房見学に来た子どもたち

こうした仕事をしていると、素晴らしい出会いも無限にあります。中でも印象的だったのは、銘菓「支倉焼(はせくらやき)」を作る仙台の菓子屋さん。菓子屋さんの専務が「我が社は木型がないと商売が成り立たない、木型の全てを習いたい」とおっしゃって、わざわざ私の作業場までやって来て、3日間私の隣に座り、真剣な眼差しで作業を見学していきました。

そのとき、専務さんが「3月に新入社員を迎えるので、ぜひ彼らに木型について話をしてほしい」と言い、仙台に招待してくれました。そうして仙台へ行く準備を始めた直後、あの東日本大震災が起こりました。そのため、この話も無くなってしまったのです。

そこで、私みたいな者に仙台へ招待しようと声をかけてくださったことへの感謝を込めて、講演料+交通費として頂く予定だった20万円を自腹で払い、米や医療品の支援物資を送ったのです。少しでも皆さんの助けになればという思いだけでした。

▲市内の子どもたちの製作体験
▲市内の子どもたちの製作体験

すると、以前からよく来てくださっていた新潟の中学校の先生が、木型を買いに来られたときに「僕は市原さんの話を卒業生たちに聞かせました。校長の許可を得てきますので、ぜひ新潟まで来て直接話をしてくれませんか」と言うのです。

数日後、その先生は校長の許可を得ただけではなく、自腹を切って私を新潟まで招待してくれたのです。そして私が現地を訪れると、心温かい歓迎をしてくれて、子どもたちも本当にいい子ばかりなんですよ。

そして地元に帰ってからも、先生や子どもたちのことが気になるんですよね。私も何か恩返しがしたいと思って、子どもたちの卒業式に合わせて、あるプレゼントを贈ったのです。何かというと、静岡県丸子峠の巨大鯛焼きを木型で作ったのです。

子どもたちは大喜びで、礼状を送ってくれたり、写真を送ってくれたりして、感動してしまいましたね。また仙台の菓子屋さんも、震災を乗り越えて、今では大忙しの毎日。後に木型を注文してくださいました。

とても印象深いご縁です。

人間なんていつ死ぬかわからない。明日死ぬかもしれない。だからこそ感謝。日々「私なんかと付き合うてくれてありがとう」という気持ちです。

 

 

菓子木型は我が魂「手間を惜しむな、名をこそ惜しめ」

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「手間を惜しむな、名をこそ惜しめ」が私の精神であり、工房の方針としています。見る人を楽しませる和菓子を生み出すためにも、作品に妥協や悔いは残しません。一つの作品にしても、作った後に何度も作品を見つめ直す。その時に少しでも違和感を覚えたら、すぐにやり直す。納得するまで手間を惜しまない。

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こうしたことは、なに一つ苦じゃない。この仕事が大好きで誇りを持っていますから。お客さんの期待を良い意味で裏切るためにも、いつもお客さんの想像を超えていくことを意識しています。お客さんの期待や要望を形にするため、技術とアイデアのすべてを注ぎ、方寸の木型に魂を込める。これが一番のやりがいであり、生きがいでもある。

だから菓子木型以外に自分の道はないと断言できます。たまに木型以外で新しい商品開発にチャレンジする気はないのか、と聞かれることがありますが、これは本当に的外れな質問です。私には木型しかありません。一生この道一本。他にやりたいことなんてありません。菓子木型は自分の魂であり、命なんです。

 

 

菓子木型を通して製菓に携わる人たちの繁栄発展を

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私が今日まで菓子木型の職人としてやってこられたのは、明るさと人を大切にする心なんだと感じています。どんな注文でも、否定することなく全て受け入れ、責任を持って形にする。その積み重ねのおかげで、私に期待してくださる方や、信頼してくださる方が増え、私みたいな者に仕事をオファーしてくださるようになっていった。本当にありがたいことです。

しかし、残念なことに菓子木型の職人は全国でも数人程度。この仕事は難しい上、お客さんとの信頼関係が非常に大切になるため、何もない状態から職人になるのは正直厳しい。私のもとに弟子入りを求めて来る人もたくさんいました。でも全て断っています。なぜなら食べていけないからです。

▲銀座の三越デパートのウインドーディスプレー
▲銀座の三越デパートのウインドーディスプレー

他所の土地から修業に来て、何年もかかって技術を習得し、地元に帰ったところで注文は来ないでしょう。ここには築き上げた信頼があるけど、他の場所へ行けば誰も見向きもしない。また職人は営業ができない人が多い。逆に営業はできるけど、技術力がないというパターンもある。まれに両方できる人もいますが、そういう人は本当に珍しい。難しいんです。

だからこそ、私は孫に託したいと思っています。こうした木を使う仕事は危険も多いですから、私から強引に勧めることはできませんが、それでも本人がやると言ってくれたら、きっと嬉しいでしょうね。

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現在、伝統工芸の技術者は減少の一途をたどっておりますが、私自身、菓子木型の伝統工芸士として、菓子木型を世に送り出すことで、製菓に携わる人たちの繁栄発展に寄与することができれば幸いです。

▲イタリアのミラノでのクールジャパン会場で展示の菓子木型キット
▲イタリアのミラノでのクールジャパン会場で展示の菓子木型キット