五城目には昔からいい家具がある!何世代も使われる丈夫な家具をこれからも

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菅生雄之助(すごう・ゆうのすけ)/家具職人

秋田県五城目町出身。物心つく前からものづくりが大好きで、気付けば家具職人の道に。専門学校を出て家具屋「 木工興眞」に弟子入り。現在は、代表を継いで三代目として木工興眞にてフルオーダーメイドの家具製作を行っている。


ものづくりが大好きだった少年時代 気付いたらこの世界に

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物心つくからものづくりが大好きで、気付いたらこの世界に入っていました。小学生のときは木で舟を作り、布切れで帆を立てて近くの川に流して遊んでいましたね

もう少し大きくなってからは、動物好きということもあってウサギを飼えばウサギ小屋、ハトを飼えば鳥籠を作ったりしていました。ものを作ることが本当に好きだったんだな。

父親からの聞いた話では、祖父は腕のいい大工だったようで、祖父の才能を引き継いでいるのかもしれません。父親には「大工やサシ(指物師)職人になったら?」と言われていて、専門学校を出てから地元の家具屋「木工興眞」へ奉公に出たのです。

 

18歳で決めた職人の道 「これしかない」覚悟で奉公

奉公先では、学校や役所などに納める書類棚、事務机、椅子、学童机を作りました。当時は生徒数も学校数も多かったので、それこそ何百個と注文があったんですよね。学童の椅子、机は決まった時期に何百と注文があった。それが終わると、今度は職員さんの事務机に取り掛かったものです。

もちろん個人のお客様もいました。昔は嫁入り道具と言えば3点セット。衣装箪笥、洋服箪笥、整理箪笥。それに加えて下駄箱(シューズボックス)もありました。嫁入り時はこの3点セットは必需品でしたので、結婚が決まったお客様からどっと注文が来ました。

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ものづくりが大好きで入った道でしたが、一度だけ迷いが生じたときがありました。弟子入りして2、3年経った18歳のころです。「このまま進んでいいのかな」と。

そんなとき、親方に長いお盆休みをもらいました。実家で1週間休んだら、もう工房に戻りたくないと思ってしまった。職人ではない別の道があるんでないか?と考えたのです。モヤモヤした気持ちが消えず、いつしかお盆休みが終わってしまった。それでも、ついに私は奉公先に戻りませんでした。

これまで「行け」とか「やれ」とか指図する父親ではなかったけれど、「お前それでいいんだか?」と聞いてきました。実家に足を止めていたら、ある日親方が家まで私を迎えにきたのです。「お前、なんとすんだ?」って。無理やり工房に連れ帰されると思っていましたが、親方は私を置いて、父親と2人で魚釣りに出掛けました。夕方戻ってきて、夜になると2人で酒を呑み始めた。そして、親方は1人で夜更けに工房に帰って行きました。親方も父親も私を怒る訳でもなく、「俺さ任せた」という感じ。咎められると思っていたのに、そういうことは一切ありませんでした。

たくさん言葉を交わさなくても、親方と父親の想いが伝わってきました。この日を境に、工房に戻ることを決意。そして、私には「この道しかない」って腹を決めました。それ以上、二度と迷うことはありませんでした。

 

地元の産業文化祭で最高賞を受賞 大きな自信に

一時の迷いが吹っ切れてから、夢中で仕事に取り組むうちに、どんどん面白味が増していきました。

大きな自信になったきっかけは展示会。五城目町の産業文化祭に、展示品を1点任されたのです。自分で図案し、どんな風に作り上げるかを全て任され、洋服箪笥を作りました。

一生懸命作った洋服箪笥が、展示会で一番いい賞をもらったのです。仕事へのやりがいを感じました。ますます仕事をやる気になりました。

 

次の代もその次の代も使えるような品物づくりを

私の仕事へのモットーは、お客様の希望をじっくり聞くこと。作ってみて「こうじゃなかった」と言われるのは最悪ですから。そうならないように、念入りに話し合います。

丁寧に仕上げるのは基本中の基本。私はよく「丁寧過ぎる」と言われる程です。そんなに手を掛け過ぎたら納期に間に合わないんじゃないかっていうくらい。性分ですね。

手掛けた品物は、なるべく長く使ってもらいたい。そういう気持ちを込めて、いいものを作っています。お客様もそこらへんは分かっていて、注文した品物は世代を超えて「子どもや孫たちにまで使い続けてもらいたいよね」と言います。

 

お客様との出会いはさまざま 長く続くご縁に感謝

お客様との出会いはさまざまです。たまたま工房に立ち寄られたのをきっかけに、現場の商品を見てつながるご縁もあります。実際に手に取ってみて、「こういうものが欲しい。作ってくれないか」と後日問い合わせがきたりします。

地元以外からの発注もあります。東京・渋谷区のお客様は、コレクションしている食器を飾る食器棚が狭くなったので、新たな棚が欲しいとオーダーメイドで注文されました。そのお客様との出会いは、五城目町の朝市ふれあい館。そのとき展示していた棚を買ってくれたのがきっかけです。それから3年経ち、オーダーメイドの依頼を受けました。

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もう一人の千葉県にお住まいのお客様は、五城目町の道の駅で“出会い”ました。息子さんが秋田県に就職が決まり、靴入れを探してあちこち見て歩いていたらしいのです。道の駅で見た私の手掛けた靴入れをとても気に入り、工房に直接電話をかけてきました。「少しまけてやってください」と(笑)。それから毎年、テーブルや机を作ってくれないか?と連絡をくれるようになりましたね。

 

意外と知られていない地元・五城目家具の魅力伝えたい

どんな難しい注文でもこなせる職人になりたい。まだまだ完璧ではないので、技術を磨いていきたい。「もっとうまくなりたい」という向上心と気持ちを持ち続ける職人を目指しています。

私には3人の孫がいますが、孫の世代に引き継いでいけるような、長く使える丈夫な家具を作りたいです。

五城目は昔からいい家具があることで有名で、”五城目家具”を遠くから買いにくる人がました。でも、町内の人からすると、昔から当たり前にあったので、有名であるということを町内の人は意外に知らない。五城目箪笥は、しっかりした作りと木目と金具が目印で、東北ではほとんどない箪笥を作る町。町の人にも魅力を知ってほしいです。

 

《インタビューと文:五城目町地域おこし協力隊・柳澤龍》