刀剣の伝統と武家文化を伝える活動、一振りでも多くの日本刀を保全したい

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大塚寛信(おおつか・かんしん)/刀剣職人

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神奈川県横浜市在住。日本刀の修復、外装製作を手掛ける刀剣職人。18歳から刀剣修復師の下で5年間修業。23歳からは研ぎ師の下で5年間修業。今まで数々の刀の修復を手掛ける。

工房ホームページ
http://www.geocities.jp/kosiraeshi/
ブログ(徒然刀剣日記)
http://blog.goo.ne.jp/kosiraeshi
ブログ(伝統工芸職人って・・・)
http://profile.ameba.jp/kosirae/


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この世の中に現存する日本刀のうち、多くが日本ではなく、海外にあることをご存知でしょうか。意外に思われる方も多いかもしれません。

私は刀剣の修復および外装を創っています。刀剣制作は、何人もの職人が携わる分業制になっています。刀身を作る工程、刃を研ぐ工程、柄の部分の装飾をする工程などがあり、それぞれの職人の手によって、一振りの刀剣が完成するのです。

その中で私は柄前制作、外装修復、刀身研磨の工程を習得しています。

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実は2011年までは、刀剣職人として活動する傍ら、企業にも籍をおいており、会社勤めと工芸職人の二足のわらじを履いていました。しかし、東日本大震災をきっかけに「今自分にしかできないことをして生きたい」「将来に伝統のリレーをつなげたい」という使命感に駆られ、会社を辞めて、刀剣職人一筋の道を歩み始めることになりました。

 

 

「ものづくりへの興味」×「武道」が刀剣職人の原点

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幼少のころから、ものづくりには興味がありました。小学生のときには、将来は「職人になってみたいなぁ」と漠然と考えていました。

そして、中学のころには剣道に夢中になりました。剣道の稽古に明け暮れる毎日を過ごしており、武道というものを本格的に学んだ時期でもあります。

高校を卒業すると大学へ進学。生化学を専攻して、さまざまな研究に没頭しました。こうした経緯で大学卒業後は製薬会社に勤務することになったのですが、刀剣職人としてのキャリアをスタートさせたのも18歳の時です。

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ものづくりに興味があった幼少期と、剣道に夢中になった中学時代の経験から、興味が沸いたのは刀剣という職人仕事。学生時代には、刀剣職人の工房へ足繁く通い、刀剣について学んでいくことになります。

 

 

ボロボロの刀剣を見事修復!恩師の技を見て盗む日々

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修業を開始したとはいっても、そう簡単に事が運んだわけではありません。当時は職人がどこにいるかさえ知りませんでしたから、調べることから始め、やっとのことで、戦前から刀剣の修復を手掛けてきた職人を見つけました。

そして、弟子入りさせてほしい思いを伝えるため、何度も足を運んだ結果、なんとか承諾していただき、工房の片隅で刀剣を勉強させていただく日々が始まります。

まずは刀剣にまつわる予備知識や歴史などを学び、鑑定眼を養っていきます。粗悪なものと良質なものの区別ができなければ、本当によいものを創ることはできませんから。

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また日本刀は総合芸術であり、追及するところは見た目の美しさだけではありません。もともとは人を殺す武器であるため、美しくもありながら、実用的であることが求められます。0.1ミリのズレが、仕上がりの良し悪しを左右するほど、精密な作業が必要になります。

それでも、手とり足とり教えてもらうことはありません。技術を習得するために、先人の一挙手一投足をよく観察し、見よう見まねで手を動かし、自分の物にしていきました。

修業中の一番の思い出は、師匠にボロボロになった刀剣の外装を用意してもらい、それを数年間かけて修復したこと。私自身が初めて手掛けた外装修復であり、この経験は、私を一歩成長させました。

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そして修業開始から5年が経過したころ、恩師より「私が教えられることは全て教えた」と言われ、独立することになりました。しかし、どの業種でもそうだと思いますが、師匠から学ぶものは基礎の基礎です。本当によい仕事をするのは、師匠の下を離れた後の、自分の努力にかかっています。

 

 

柄前5年、研ぎ5年、10年かけて刀剣職人に

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外装修復の修業を5年かけて終えた私は、次に研ぎ師の門を叩きます。
刀身の研ぎには、研ぎ師の個性が出るものです。研ぎ師としての個性を前面に出すような方ではなく、刀にあった研ぎをする方の下へ弟子入りしました。

一言に「研ぎ」といっても、包丁の研ぎとはまったく違います。包丁は極めて実用的な刃物のため、切れ味の鋭さを重視します。刀も武器ですから、切れ味を重視するのはもちろん大切なのですが、美術品としての一面もあるため、美しい刀身であることも同時に求められます。

刀身には刃紋が浮かんでいますよね。あの刃紋は刀身の硬度の違いによって自然に出るものなのですが、刃紋一つとっても研ぎ師はその刃紋をさらに美しく見せるような化粧法を学びます。例えるなら、刀身というキャンバスに絵を描くようなものです。

刀身を美しく磨き上げるということは、観賞用として扱うということであり、本来武器であるところの日本刀の性能とは無関係です。しかしながら、武士の魂としての特別な位置付けが、今日の刀剣研磨に受け継がれています。どこまで美を追求するかは研ぎ師によっても違いますが、私は実用的な部分を残しつつも人を魅了する「実用の美」を心がけています。

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研ぎ師の下でも5年修業した結果、外装から研ぎにいたるまで、一通りの刀剣の修復を一人でできるようになり、日本刀の状態を確認して修理し、使用可能な状態に仕立てる伝統技能を持った刀剣職人として活動しています。

刀剣を扱う職人には、たくさんの知識と技術、経験が要求されます。私は各分野の知識と技術を吸収するため、多くの刀剣職人に師事し、ある程度継承する技術をしぼりこんで習得しました。現在も日々、鑑定や歴史など知識の吸収に努めています。

 

 

刀剣がくれた出会いを大切に、日本に武家文化の普及を

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刀剣職人をやっていると、さまざまな出会いがあります。街中で偶然、過去に自分が修理した作品に再び出会うこともありますし、10年以上前に自分が手掛けた刀を大事そうに抱え、再度修理の依頼に来られるお客様をみたときは、「ずっと愛用し続けてくれたんだ」ということが伝わり、とても嬉しくなります。

2014年にはインドネシアで、日本文化のイベントがあり、私も刀剣職人として参加しました。その際には第二次世界大戦中に欧米諸国によって植民地にされていたアフリカやアジアの方が、植民地解放のきっかけになった日本に感謝している声を聞くことができました。これも私が刀剣職人をしていたからこそ出会えた生の声です。

また私自身、夢想神伝流(むそうしんでんりゅう)という流派の居合を嗜んでおり、道場に通っています。もともとは仕事上のトラブルから、精神的な弱さを痛感し、克服するため居合道を学び始めたのですが、実際に刀を振ることで自分の勉強にもなりますし、居合を通してさまざまな人に出会い、若い人に対しては指導もしています。

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日本刀には3種類の役割があります。ひとつは「武器」。もうひとつは「信仰の対象」。そして「美術品」。
そこには「美の中の張りつめた緊張感」があり、武家文化の全てが詰まっています。刀剣は私の人生の全てであり、それを後世にむけて伝えることも私の仕事だと思っています。

そのために刀剣文化を普及する活動もしております。
刀剣創りに興味のある人に対しては、技術的な指導も行っているのですが、刀剣に接する機会の少ない方々には、まず「知る」きっかけを作ることから始めています。

インターネット上でもホームページやブログを開設して情報発信を行っていますし、フェイスブックといったSNSのつながりも大切にしています。他にも地域社会とも積極的に協力して、地域の魅力づくりの一環として、公共施設で刀剣文化に触れるイベントを開催する旨の提案も続けています。

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また定期的に自分の工房を解放しており、訪れた人にものづくりの現場を見てもらい、希望者には本物の刀剣を持ってもらう体験もしています。最初は怖がって恐る恐る手にする人も多いのですが、いざ構えてみると「思っていたよりも手になじむ」といった声を頂くことも多く、皆さん必ず笑顔になって帰っていきます。

そうした活動をしていくことで、武家文化を知り、刀剣に興味を持つ人が少しでも増えることを願っています。

 

 

海外に流出した日本刀 誰も面倒をみなければ朽ちていく運命

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第二次世界大戦後、日本国内にある日本刀の多くは、戦勝国のアメリカやオーストラリアに渡ってしまいました。そのため、海外には案外刀剣愛好家が多いのです。好きな人は日本人よりも好きな人がいますから。

今でも海外には日本の伝統的な刀剣が数多く眠っているのですが、名刀であっても、メンテナンスを怠れば朽ちていくだけです。中には、間違った手法で刀の修復を試み、価値のあったものをダメにしてしまう方もいます。

刀を大切にしたいという気持ちは素晴らしいのですが、海外には刀剣の修復師が圧倒的に少なく、修復したくても頼るところがないのも現状です。
中には、古美術的な価値の高い刀剣や、歴史的に重要な刀剣が少なからず含まれており、待ったなしの状態で破壊が進んでいます。私は今まさに破壊されようとしている海外の日本刀に、再び美しい輝きを取り戻させるため、アメリカやオーストラリアに足を運んで、 現地にある一つでも多くの刀を修理、修復をして適切な保存に努めたい。

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外装修復の修業を終えて独立した後、研ぎの修業も始めたのは、海外の日本刀を修復するということも視野に入れていたからです。修復するために必要な技術を一通り身につければ、海外であっても私一人で対応できますから。

次世代の子どもたちに、正しい伝統文化を伝え、海外の刀剣についても朽ち果ててしまわないように修復をする。それが伝統工芸に携わる職人としての使命だと思い、活動を続けていきます。