伝統技術”京三島”を継承した「湖西焼」、滋賀県・湖西地域の名産ブランドへ

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圓口功治(まるぐち・こうじ)/陶芸家

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京都府出身、1980年4月22日生まれ。高校生のころに器の魅力に取り付かれ、高校卒業後、京都府立陶工高等技術専門校へ進学。2年間陶芸を学び、その後さらなる技術向上を目指し、陶楽陶苑・森里陶楽へ弟子入りをし、森里良三先生、森里秀夫先生に師事。13年間の修業を経て、2014年5月から「湖西焼 圓工房」を滋賀県大津市に開業。自然に囲まれながら、京三島の伝統技術を継承しつつ、湖西焼を広めるため、日々創作活動に没頭。

https://instagram.com/kojimarugchi/


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私の生まれは京都ですが、高校生のころに家族そろって京都府から滋賀県へ引っ越してきました。
高校生のころは料理人を目指していた私ですが、いつしか料理が盛り付けられる器に魅了され、陶芸の世界へ飛び込みました。

最初は陶芸を10年勉強したら、料理の世界へ行こうと考えていましたが、日々粘土に触れ、ろくろと向き合い続けていくうちに、陶芸はいつしか私の人生となっていました。

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そして13年間の修業を経て、2014年5月に「湖西焼 圓工房(こせいやき えんこうぼう)」として独立。師匠の下で学んだ伝統技術”京三島(きょうみしま)”の技術を継承し、新たなスタートを切りました。
※京三島…花びらを型押しして、白土で化粧を施して文様をつける、京都に伝わる伝統技法

 

 

器に魅了された高校時代 良い器に盛り付ければ味もまた絶品

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高校生のころの私は、滋賀県の料理屋で調理補助のアルバイトをしていました。
おいしい鮎料理を出すお店だったのですが、そのアルバイトでとても感動したことがあります。

それは、器の”すごさ”です。
店長が作った料理が器に盛られていったときに、とてもおいしくみえる。
まったく同じ料理でも、器が変わると、味も印象も変わる。

このことに感動した私は、お婆ちゃんに「器ってすごいなぁ!」なんて話をするようになりました。
というのも、実は私のお婆ちゃんは、高木岩華(たかぎがんか)という窯元の四代目で、器や陶芸に関してとても博識な人だったのです。

当時の私は料理人を目指しており、高校卒業後は料理の専門学校へ行こうと考えていましたが、器の魅力と、器が持つ可能性にだんだんとひかれていき、「このまま料理の道に入るのはおもろないな」「器から入ってみよう」と思い立ったのです。

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これ私がアルバイトをしていた料理屋の店長がおっしゃっていたのですが、「料理を作る側の悩みとして、イメージ通りの器を買おうとするとコストがかかる、だからイメージと違う器を使わないといけない場合もある」とおっしゃっていました。それを聞いた私は「だったら、自分で器を創ることができれば、料理の幅も広がっていくのではないか」と思ったわけです。

そんなわけで、器の勉強をしたいと考えた私は、お婆ちゃんにその旨を伝えたところ、京都にある陶芸の学校「京都府立陶工高等技術専門校」を紹介してくれて、高校卒業後に晴れて入学、陶芸の道へ進み始めました。

 

 

さらなる技術向上を目指し、京都有数の技術を持つ窯元へ

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私は京都府立陶工高等技術専門校で2年間陶芸の基礎を学んだ後、さらなる技術向上を目指し、繊細な京三島の技法を得意とする、陶楽陶苑・森里陶楽(とうらくとうえん・もりさととうらく)という窯元に弟子入りをしました。

当時求人も出ていなかったのですが、飛び込みで頭を下げて弟子入りをお願いしました。
関西には多くの陶芸家が活動しており、そのジャンルもさまざまです。
作風で魅せる人や、高い技術で品質の高い物を創る人など。

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私は技術を向上させたいと考えていたので、高い技術を持っている人の下で学びたいと思っていました。
そこで学校の先生方や知り合いの話を聞きつつ、修業先の情報を調べていたところ、たまたま学校の先輩が森里陶楽で働いていたのです。

その人から「もう一人くらい欲しいな~って、親方が言うてたで」という話をコソッと教えてもらい、だったら一度工房を見学させてほしいと言って、見学に行きました。正直その時点では、森里陶楽の商品を知らなかったのですが、学校の先生方は「あそこはすごい技術が学べるよ」と、口をそろえておっしゃっていました。

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そして実際に見学に行って、作業を拝見させていただいたときは、本当にびっくりしました。
京焼というのは、その技法も多くの種類があるのですが、そんな中でも森里陶楽の仕事は、非常に洗練された技術を持っていて、一つ一つの細かな装飾に対しても、とてもシビアに、繊細に仕上げていくのです。

そのため、非常に工程数も多いですし、一つでもミスを犯せば品物にならないというプロとしてのこだわり。
そうした仕事風景を見て、ここで修業をすれば、絶対に自分を高めることができると確信しました。
これが森里陶楽へ弟子入りを決めたきっかけです。

 

 

“物を創るときの気持ちの入れ方” “確かな技術” 2つの宝物

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私は、森里陶楽で2人の師匠に技術を学びました。
森里良三(もりさとりょうぞう)先生と、森里秀夫(もりさとひでお)先生です。
私が門を叩いたときには、すでに良三先生は引退されていて、秀夫先生の代に変わられた時期でした。

それでも良三先生は、工房にやって来て、日々ろくろと向き合い続けておられました。
修業を始めたばかりのころ、良三先生の補助をして勉強させてもらっていたのですが、実は良三先生は半身不随で、右半身が麻痺している状態だったのです。

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そのため、左手一本で作陶されるのです。
良三先生は「こんな状態でも物は作れるんやぞ」とおっしゃって、私たち若手に物の創り方、陶芸の楽しみ方を、身をもって教えてくれたのです。私は、良三先生の仕事ぶりや作品を目に焼きつけ、肌で感じさせてもらって、物を創るときの気持ちの入れ方、ものづくりの精神を教わってきたような気がしています。

そんな良三先生ですが、私が入って3年目のときに、多くの方に惜しまれつつ亡くなられました。

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一方、秀夫先生は徹底した品質へのこだわりと高度な技術を持った、とても厳しい職人肌の方です。
兄弟子もいたのですが、私は人一倍怒られていましたね(苦笑)。

しかし、その厳しさの裏には、秀夫先生の妥協を許さない、プロとしてのプライドがあるのです。
だから、その叱咤(しった)激励の一つ一つが勉強になりましたし、私も負けん気が強い人間で、怒られるほどぶち当たっていくタイプなのですが、秀夫先生はいつも正面から向き合ってくれました。

▲カップルが陶芸体験に来た時の風景
▲カップルが陶芸体験に来た時の風景

このお二人がいたからこそ、今があるのだと思います。
良三先生から教えられたものづくりの精神と、秀夫先生から受け継いだ確かな技術、これが土台となって、今の私を支えています。

 

 

その名は”湖西焼(こせいやき)” 自然体で縛られないものを

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私は修業を始める前から、10年経ったら独立しようと考えていました。
結果的には、準備期間もありましたので、13年間森里陶楽でお世話になった後に独立、2014年5月に「湖西焼 圓工房」を、滋賀県大津市で開業しました。

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大津市は琵琶湖があって、比良山系(ひらさんけい)が見える、自然豊かな土地です。
また大津市は、陶芸作家も非常に多い地域なのです。

その理由として、作家は何かを創造するにあたって、がやがやしたところは結構しんどいのです。
新作を創りたいなぁと思ったときに、ちょっと外へ出たら森があって、またちょっと歩いたら琵琶湖があって、自然な風景を見ることができる。

これが非常に魅力に感じるようで、大津市に移り住んで、みなさんゆっくりと作陶されていらっしゃるようです。私自身も、ここで開業することができて良かったと思いますね。

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野良猫を保護したら、いつの間にかどんどん増えて、今では作陶に欠かせない大切な存在になりましたし、都会の方はびっくりするかもしれませんが、猿を見かけることもしょっちゅうです。
作業場の周りは、人より猿の方が多いくらい(笑)。

そんな静かで自然豊かな場所だからこそ、インスピレーションもたくさん湧いてきます。
私は自然体で、縛られないものを創りたいと常々思っているので、とても良い環境だと感じます。

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また私の焼き物は「湖西焼」と銘を打っています。
これは、私が滋賀県の湖西地域で作陶していることから、この湖西地域の名産、ブランドとなれるよう願いを込めて名づけました。

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実は大津にはそうした物産があまりありません。
もちろん有名な観光地やホテルはありますが、そこで売られているお土産は、信楽焼だったり京焼だったり。それが間違いということではないですが、純地元のものを創りたいと思ったのです。

だから、湖西焼という名前はこれからも名乗り続けていきたいと思っています。

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新しい取り組みにも挑戦しています。
こちらは「山さくら 近江湖西茶碗」という作品で、滋賀県湖西の山から粘土を採って熟成させ、ようやくロクロ成形できた茶碗です。それに加えて、上品な木箱に、手描きで湖西の山さくらをあしらいました。完成までに半年を費やしました。
木箱とセットでの商品なのですが、木箱からオリジナルデザインでの販売は誰もこころみたことがありません。今までにないようなアプローチ手法も、今後どんどん試していきたいと思います。

夢物語かもしれませんが、10年20年経った後に、みなさんに湖西焼の名前が認知されて、湖西地域の焼き物といえば湖西焼、と呼ばれるようになるかもしれません。それが、大津市を盛り上げることにつながれば、幸いです。