“大島紬里帰りプロジェクト”で古い着物の再生活動、織文化の復活目指す

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元允謙(はじめ・ただあき)/奄美の染織職人(大島紬)

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奄美大島在住。実家は奄美大島の有屋集落で7代続く大島紬の織元。「奄美の伝統と技術で新しい物創り」をテーマに、大島紬のみならず、さまざまな「メイドイン奄美」の物作りに取り組んでいる。

ホームページ
http://hajimeshoji.com/


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大島紬は奄美大島を中心に栄える、奄美の風土と職人たちの技術が長い年月をかけて磨き上げた、他の産地には類を見ないユニークな織物です。深みのある色合い、精緻(せいち)な織りを自慢とする大島紬の着物は、着物を楽しむ人であれば知らぬ人はいません。

しかし、そんな大島紬も現在では、着物文化の衰退により、たんすの奥深くに眠っているというケースが非常に多く、日本人にとって縁遠い存在になりつつあります。

私は大島紬の織元の家に生まれましたが、職人になるなんて最初は考えたこともありませんでした。しかし、あることをきっかけに大島紬の職人となる決意をしました。

 

 

大島紬を学ぶ次世代の若者たちとの出会いがすべての始まり

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私は奄美生まれで、実家は奄美で大島紬の織元をしていました。しかし、販売支店が福岡にできたことをきっかけに、3歳からは福岡で生活をしていました。そのため、織元の家といっても、私自身は実際の作業現場を見たことはまったくありませんでした。奄美で織ったものを、福岡の支店に持ってくる流れでしたから。

そのため、織りに興味を抱くことはありませんでした。当時の私はCGに興味があり、大学でもパソコンを使ったデザインの勉強をしていました。しかし、日々勉強していく中で、大学の水が合わなかったのか、だんだんとその興味が薄れてきてしまった時期がありました。そんな大学3年生の夏休み、1ヵ月奄美へ里帰りをしたのです。

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ちょうどその時期、仕事で本社に来ていた父親が「いい機会だから作っているところを見せてやろう」と言い、大島紬の作業現場を案内してくれました。どの工程も初めて見るもので、まるで何も知らなかった自分を恥ずかしく感じました。案内してくれた場所の中で大島紬技術指導センターという所があり、そこでは地元だけでなく、全国から20代の若者たちが大島紬の技術を学ぶために来ていて、目をキラキラ輝かせながら必死に勉強していたのです。

彼らを見て刺激を受けた私は、初めて「自分もやってみたい!」と思うようになりました。
ここでの出会いが、私の全ての始まりだったといえます。

 

 

伝習生から始まる職人の道 京都では販売のノウハウも学ぶ

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私は大学3年の修了時に休学届けを大学に提出しました。そして当時奄美の大島紬技術指導センターで行われていた 、大島紬の中堅技術者育成を目的とする、伝習生制度に申し込みました。 この制度は、大島紬の職人になるための技術や知識を1年間かけて無料で教えてくれるという大変ありがたいもので、多くの先輩たちもここから巣立っています。 伝習生となり、大島紬の伝統と技術に深く触れる事で、ますますのめり込んでいきました。

完成した着物でしたら、福岡の家で何度も触れてきましたが、その着物が「こうして作られていたのか」「あの道具はこの作業に使うものだったのか」「こんなにも面白いのか」など、感動しっぱなしでしたね(笑)。

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そうして大島紬のあらゆる工程を1年かけて勉強した後、大学へ復学して卒業しました。その後は、いきなり職人となることへの不安もあり、もっと着物への知識や、業界の知識を増やしたいと考え、一度京都の呉服問屋へ就職して2年半ほど仕事をしました。

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大島紬のことは1年かけて勉強をしたので、会社の中では誰よりも詳しい自信がありました。しかし、他の紬や着物の知識は皆無でしたので、他と比較した良さが全く説明できないのです。呉服問屋へはさまざまな着物が集まってくるため、そうした他の着物に触れる機会も当然多いです。そのため、ここでの経験は非常に勉強になりましたね。また流通の仕組み、物を売るためのノウハウ、そしてただ物を作っているだけでは売れないのだということも教えてもらいました。

 

 

伝統は変わりゆくもの 奄美へ戻り大島紬の未来を考える

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京都の呉服問屋を退職後、奄美へ戻り、実家の会社に入社しました。その当時、自社でのオリジナル商品の製作は少なくなっており、既存の商品の販売に力を入れていました。私も京都で販売の勉強をしてきましたから、そちらの仕事もこなしつつ、並行して新しい物作りにも取り組んでいきました。父親である社長に、「こんなの作ってみたいんだけど」と相談しては、素材を集め、加工し、さまざまな試作を繰り返しました。

作業で分からないことがあると、周りの職人さんにアドバイスをいただいたり、伝習生でお世話になっていた大島紬技術指導センターを訪ねたりしながら、新しい大島紬を形作るべく毎日試行錯誤しています。

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伝統はその時代に合わせて変わっていくものだと考えています。大島紬には1300年以上の歴史があると言われていますが、1300年前の大島紬と、今の大島紬はまったく違うものです。

私が作っているものが、現時点では大島紬ではないと言われるかもしれませんが、100年後にはそれが大島紬だと言われている可能性もあります。だから、言い方は変ですが「遊べるうちに遊ぼう」と思い、いろいろ試しています。

私の物作りのモットーは「奄美の伝統と技術で新しい物創り」です。大島紬の命である絣(かすり)を作るための「締機(しめばた)」や、奄美の土でしかできない独特の色を生み出す「泥染」などの技術や工程を踏襲(とうしゅう)しつつ、新しい物作りを行うことで伝統を進化させていけると信じています。

 

 

大島紬里帰りプロジェクト リユース×ルネサンス

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全国を巡り展示会を行っていると、お客様から「着物を持っているんだけど着ないんだよね」「思い出があるから捨てられないわ」「受け継いだ大切な着物だから、何かの形で活かしたい」という声を多くいただきます。また奄美でも織りの仕事が減っており、このままでは作り手もいなくなり、伝統が失われてしまう危機感がありました。

そこで考えついたのが「大島紬里帰りプロジェクト」です。着ることもできず捨てられることもない古い着物を送っていただき、奄美の職人が大島紬の工程と、裂き織り(古い生地を裂いて織り直す技法)の技術を掛け合わせて新しい生地に生まれ変わらせる、まさにリユース(再使用)とルネサンス(再生)をしようという試みです。

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奄美にはレベルの高い機織りの技術が根付いていますから、例えば着物をバッグや帯のような小物に再生することだって可能です。そうした日用品でしたら、着物を着ない方でも、普段から使うことができます。

「おばあちゃんの思い出が、生まれ変わって身近に感じることができて嬉しい」「人からもらったもので、好みの違いで着ることがなかった着物が、小物になることで違和感なく使えるようになった」など、嬉しい声も聞こえてきます。

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たんすに眠る着物に、奄美に一度里帰りしてもらい、お客様のご希望通りに作り直し、お返しする。そうして、眠っていた着物がまた日々の生活の中で愛されるようになってくれたら嬉しいですね。またこのプロジェクトは、着物に新しい価値を生み出すことに加え、こうした受注が増えることで、作り手の活性化を促し、奄美の伝統を守ることにもつながります。