和紙でしか表現できない造形美「和紙あかり」で“命”を表現したい

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かとうこづえ/和紙造形家

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福井県鯖江市在住。フラワーアレンジや生け花など、花関係の仕事を経て、偶然出会った”あかり”に感銘を受け、2002年よりDU-Artの和紙造形家「かとうこづえ」として活動開始。

ホームページ
http://duart.thebase.in


福井県は全国でも有名な越前和紙と穴馬和紙の産地です。私はそこで、和紙を用いた造形やあかりを創作する、和紙造形家として活動しています。世の中に”和風”の物は溢れていますが、日本人でありながら家に障子やふすまのないところも多く、和紙に「触れたことがない」「見たことがない」という方も、現代では非常に多いと感じています。

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もともとは生け花やフラワーアレンジメントなど、花にまつわる仕事を長年しており、あることをきっかけに始めた、花を用いた照明に力を入れるようになりました。その後、和紙と出会い、その美しさと可能性に魅了され、和紙造形家へ転身。以来、和紙を用いた造形美を追求し、作品を通じて和紙の魅力を伝えるために活動しています。

 

 

自分は何がしたいのか 葛藤を乗り越えた先に見た”あかり”

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私が花関係の仕事をしているとき、とある手芸店から簡単な講座をやってくれないかと誘われ、講師をしていたことがあります。しかし、いつしか花よりも縫い物やビーズなど、他を教える機会が増え、私自身とても苦しい時期でした。なにせ花の仕事ではないので、自分のやりたいことではないですし、いろいろなことをやり過ぎて名刺の裏には肩書きがいっぱい。ある社長さんに「あなたは一体なにがやりたいの?」と聞かれて答えることもできませんでした。また慣れない土地や子育てのストレスも重なり、心が疲れてしまっていました。

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ちょうどその時、私が以前から行きたいと思っていた滋賀県の「黒壁スクエア」へ行く機会がありました。そこでドライフラワーを用いた照明が展示されていました。その照明は裸電球の周りにドライフラワーを刺しただけの簡単なものでしたが、見た瞬間から不思議と涙が止まらなくて、心が震えた感覚を今でも覚えています。

何が私の心にそこまで訴えたのか、その理由は分かりませんが、これだけ心が震えたのだから、この感動を他の人にも伝えたいと思い、花を用いた照明を創るようになりました。そして在住する地域が有名な和紙の産地であることに気がつき、「ここには日本を代表する和紙があるじゃないか」と思い、和紙のあかりを創り始めました。

 

 

あかりの美しさだけではない、和紙造形美の追求へ

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そうして和紙のあかりを創り始めたとき、和紙の知識なんてまったくありませんでした。初めは既製の和紙を買ってきて、針金で造形したものにペタペタと和紙を貼り付けていましたね。この技法でしたら、和紙の知識がなくても、ある程度形にすることができましたから。

しかし、ある公募展に作品を出展していたときに、一人の男性から「これは光源がきれいなだけで、造形がきれいなわけじゃないよね」と言われたのです。さらにその人は「光源が無くても美しいと思えるような、造形美を追求しないか」と、現代工芸美術家協会に誘ってくださったのです。

現代工芸美術家協会とは、造形美を追求して日展作家の育成を目的とした場所です。伝統工芸では”用の美”が求められますが、ここでは”使えるもの”では逆にダメなのです。他ジャンルの作家が数多く集まり、皆さんに作品を見てもらい品評してもらったり、造形におけるアドバイスを頂けたり、ここでの経験は後の作風に大きな影響を与えました。

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中でも、漆の造形を手がける一人の先生にはとてもお世話になりました。勉強会以外の時間でも「こうしたほうが表現できる」「ここをこうしたほうがいいんじゃないか」「立体造形には正面があってはいけない、裏はないんだ」「ただ球体を創るたけではなくへこみ、曲線、膨らみを与えることで、表現の幅は広がる」など、親身になってアドバイスを頂いたり、夜遅くまで造形談議にお付き合いしてくださったり。先生がいなければ、今の私はないと言えます。それは作風にも表れていて、確実に先生に影響されている部分がありますね。

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正直最初はすごく違和感がありまして、「和紙じゃない他ジャンルの人に、何がわかるんだろう」と疑問に感じていましたが、参加するうちに”造形は全てに共通するもの”ということが分かりました。というのも、美しいものは美しいのですから。もちろん素材の可能性は付加価値としてあると思いますが、和紙だから和紙の中でしか話ができない、ということはないのだと勉強になりましたね。

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そうして私の代表作「繭玉」は生まれました。繭玉は命の源を表現しており、そこにあかりを入れることで命が宿ります。私の造形は曲面と曲線にこだわっており、この造形美は和紙でしか表現できない上、このふくらみとへこみが和紙のしなやかさと美しさを最大限に引き出しているのだと思います。

 

 

造形美を追い求め、あくまでも和紙を使う理由とその魅力

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和紙は木からできていますから、その自然の美しさが非常に魅力だと感じています。だから、化学薬品を使うと和紙は強く拒絶するのです。これは余談ですが、私は生まれつき薬が使えない身体で、境遇が和紙と似ているというか(苦笑)。そんな自分に、自然の産物である和紙は非常に手になじむのです。この自然の産物である和紙を、私の手を使って、立体造形にして新しい命を吹き込む。これはやっぱり和紙でしかありえないことです。

私は和紙を用いて作品を造形する場合、光源を入れることはないのですが、商品として販売している「和紙あかり」は光源を入れており、そのあかりは女性の肌を美しく見せます。日本特有の艶、女性美を引き出してくれるのです。これも一つの和紙の力だと思います。

また昨今では見る機会が減った障子。障子は太陽の光は遮りますが、月の光は取り入れるのです。これはコピー用紙では決してできないことです。日本の先人たちの偉大さを感じますね。

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普段は、1500年の歴史がある越前和紙を使って創作したり、今後は穴馬和紙を使った創作も予定していますが、拭き付け和紙という独特の手法で表現するときもあります。私は「越前和紙」「穴馬和紙」だけなく、「日本の和紙」という枠でさまざまな技法にチャレンジし、新しいものを発信していきたいと思っています。温故知新という言葉がありますが、新しいものを追求しようとすると、どうしても古いところに辿りつくのです。古いものを知らずして新しいものは生まれないので、どんどん挑戦して新しいものを発信していくことが重要だと感じます。

全ての人に和紙を身近に感じてほしいですし、もっと和紙文化に触れてほしいと思います。

 

 

心の闇を表現した和紙造形作品 涙を流してくださる方も

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私が和紙の立体造形の展示会を行うと、作品を見て涙を流してくださる方がいらっしゃいます。こうして人の心を動かしているのは、造形の力というより、和紙の持つ力だと思います。

というのも、作品を創るとき「景色をモチーフにする」「物をモチーフにする」「目に見えないものを形にする」の3パターンがあります。私は目に見えないものを形にするタイプです。「自分の弱い内面」「人間のドロドロした部分」「心の闇」と向き合い、それを形にして表現しています。

それにも関わらず、完成したものはとても美しい。これは私の感性や技術うんぬんではなく、人間のドロドロした感情を和紙が上手く包んでくれて、美しくしなやかで、柔らかく、癒す作品にしてくれているんだと思います。

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毎回来てくださる方も、初めて来られた方も「包まれたい」「包まれているように感じる」「癒される」という言葉を残してくださるので、とても印象的で嬉しく思います。正直、とても見づらいものを創っているはずなのに、そんな風に感じてもらえるというのは、和紙造形家冥利に尽きますね。

そのため、作品も含め、さまざまな和紙の形を多くの方に見てもらいたいと思います。目標にもありますが、ホテルの空間コーディネートを手掛けたいというのも、それが理由です。ホテルには多くの人が訪れます。同時に、客室やラウンジ、中庭などシチュエーションも豊富で、和紙の魅せ方もたくさんあると思うためです。

 

 

和紙造形家”かとうこづえ” の生きる証

2012/ 7/21 17:25
2012/ 7/21 17:25

わたしは”かとうこづえ”名で和紙造形家として活動しています。

生まれたときは”こずえ”だったのですが、3歳のころに父が「このままでは運勢が良くないから」といって”こづえ”に改名してくれたのです。しかし、家庭に複雑な事情があり、父と一緒に暮らすことができませんでした。

それでも記憶はしっかりと残っていて、私の記憶の中にいる父は建築デザイナーで、いつもデッサンをしている人でした。その背中を見ていたせいか、私がものづくりの世界へ入ったのは父の影響がとても大きいと感じるのです。

一緒に暮らすことはなかったですから、現在どこで何をしているのか、生きているのか、定かではありません。しかし、私にとっては最高の父であり、大好きでした。私に”こづえ”という名前をつけてくれて、生きる意味を与えてくれたことを心から感謝しています。

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私の作品は「自分の内面」「人間のドロドロした部分」「人間の闇」を表現していると言いましたが、テーマは”命”なんです。自分自身、作品を通じて自分が生きている証明をしているのかもしれません。いつか父が私の活動を見て、私の存在に気がついてもらえたらいいなと、心のどこかで思っているのかもしれません。