ガルーシャ(エイ革)扱う希少な職人技で、”格好いい大人”を増やしたい
小島国隆(こじま・くにたか)/革職人
浅草生まれ、浅草育ち。曾祖父の代から革職人の家系であり、革に囲まれて育つ。そのため自然とものづくりに関心を持ち、中学校の時には加工した革製品やシルバーを友人に販売し小遣いを稼ぐ。高校卒業後、専門学校を経て高級紳士服の仕立て屋に就職、師匠からものづくりを学ぶ。20代を過ごした後、時計ベルトメーカーに転職し、製作の傍ら、飛び込み営業も経験する。ファンション誌『LEON』の創刊編集長・岸田氏との出会いを機に、ガルーシャ製作を開始。「菩薩の宿る革職人」と呼ばれている。独立してからは事業も軌道に乗り、現在はこれまでにないデザインを求めて試行錯誤の日々を送る。
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親方の言葉「モテない奴が服作っても売れやしない」
私が生まれ育った浅草エリアでは、革屋や革職人が多く、革産業が盛んでした。今では知らない人も多いですが、豚革は東京の名産品の一つでもあります。
曾祖父は、軍靴など軍用製品などに使われる再生革(※段落下をご参照)の開発と生産を手がけ、祖父・父の代ではそれに加え、革製品の裏材に使われる豚革の生産を手がけておりました。
幼いころから革に囲まれていた私は、革の匂いが好きだったこともあり、幼稚園や小学校のときには近くの革工場から端材を集めては繋ぎ合わせることで、アクセサリーのようなものを作っていました。
その後も趣味として続け、中学生のときには裁縫も覚えてレザークラフト作りに取り組みました。また、当時流行していたクロムハーツ(高級シルバーアクセサリー)を習い、独学でシルバーを削り出す技術も身に着けていきました。
※再生革(さいせいかく)とは、製品の生産過程で発生する端切れの革を細かく砕き、プレスで圧縮して固めて作った革のこと
高級紳士服の仕立て屋でナンパの毎日と築いた信条
私は当時、ミーハーなのですが俳優の舘ひろしさんのスーツ姿に憧れていて、「格好いいな」といつも感じていました。裁縫などを学ぶうちに次第にデザインにも興味を持つようになった私は、「あわよくば、私の作ったスーツが舘さんの目に留まって着てもらえないだろうか」と思い、服飾の専門学校を出て、赤坂にあるオーダーメイド高級紳士服の仕立て屋で働き始めました。
どこのアパレルメーカーに就職するにしても、専門学校卒業が条件にされていましたが、実際にものづくりの現場で働いてみると、専門学校で習ったことはほとんど通用しませんでした。なぜなら現場では、専門学校とはアプローチがまるで違っているからです。専門学校では絵をベースにして、誰が着るのかわからないような「目立つ服」を作りたがりますが、現場ではお客様のニーズに合わせて作ることが求められます。
仕立て屋での丁稚仕事(雑用仕事)に奮闘しつつも、ある日私は「もっと服作りの仕事をさせて欲しい」と親方に願い出ました。すると親方から「モテない奴が服を作っても売れやしない」と説教されたのです。それまで「良いものを作れば売れる」と思い込んでいた私は、そのとき大きな衝撃を受けました。「モテるために40、50万という大金を払ってスーツをあつらえるのだから、お客様をモテるようにさせなきゃいけない」というのが親方の考えでした。
当時私はモテなかったので、親方から「仕事のことなんか考えなくていいから、とにかくナンパに行ってこい!」と言われ、ナンパに行っては日報を書く毎日でした。何よりもモテることだけを考えていました(笑)。しかし、このときの経験があったからこそ、「良いものを作るだけではなく、お客様のご要望をくみ取り、ご満足いただけるものを提供する」という今の私の信条があるのだと思います。
月2万本もの製作から生まれた、丁寧なものづくりへの姿勢
革業界では洋服業界ほど発注ロットが多くないため、型紙がしっかりと作成されにくいきらいがあります。さらにオーダーメイドともなると顕著で、職人がボール紙に外周だけ記入しただけのものすらあり、後から再発注がかかっても詳細が分からず品質に差が出てしまうこともしばしば見られました。
一方、洋服業界はコストダウンのため、分業や外注化が進んでいます。どの工場に量産やオーダーメイドの発注をしても均一なクオリティーで製作できるように、型紙や仕様書のレベルが高く研ぎ澄まされていました。この仕立て屋時代に学んだパターン(型紙)の製作技術は、現在の革製品製作において大変役立っています。
こうして7年間、紳士服の仕立て屋での作業工程から販売まで一通り学び終えた頃、幼少期から好きだった革工芸への想いが再燃しました。
時計ベルトメーカーに就職して3年間、朝7時から深夜2時ごろまで一日中時計ベルトを作り続けました。1か月で2万本にものぼります。
とにかくコスト削減のために、工夫を凝らして安い資材を取り入れる日々でした。耐久性も万全とは言えず、長く使ってもらうというよりも取り急ぎのカタチとして販売できる状態にすることが求められました。
大量生産には必要なノウハウでしたが、ものづくりの職人として、このままでは「良いもの」は作れないと悶々とする歯がゆい毎日だったのを覚えています。作業の効率化も必要ですが、自分が革職人として手掛けるときは、オリジナルにこだわり、長く愛用してもらえる仕事をしたい!という想いが強くなりました。
「俺とコラボしないか?」 行動を伴えば憧れは実現する
こだわりの革製品づくりを学ぶため、次の職場では修行だと割り切り、葛飾区にあるフルオーダーの高級時計ベルトメーカーの工房にて無給で働き始めました。運悪く、あまり仕事を回してもらえませんでしたので、高級時計を持っている友人らから時計ベルトを集め、分解して徹底的に研究しました。仕事が終わると、家で端材を用いて高級時計と同様の時計ベルトを作ったものです。
3年ほど働いた後、工房は閉鎖。当時の親方が回してくれる案件を引き受けて、細々と一人分くらいは稼ぐ生活でした。
「これでは駄目だ」と一念発起し、時計ベルトなどの製品を作って自ら営業に出るようになりました。
既存の時計屋では競業が多く、新規営業で取りにいくのは至難の連続。他の営業先を探す必要がありましたが、やり方を変えることにしました。
行く当てもなかったので、経済誌に登場するような有名社長たちの元に営業に行きましたが、当然のように門前払いを食らいました。ときにはその社長たちの運転手付きの車に乗り込んで直接営業をかけたこともありますが、一向に契約を取れませんでした。
『LEON』の創刊編集長との出会い 初めてのガルーシャ時計
ある日、ファッション雑誌『LEON』の創刊編集長・岸田氏をカフェで偶然見かけました。岸田氏といえば、私の心の師匠。”モテるものを作ってこそ売れる”というかつての親方の”教え”をまさに体現している人です。
氏の腕にはめらていたのがガルーシャの時計ベルトでした。しかし、「自分ならその職人より、もっとクオリティーの高いガルーシャの時計ベルトがつくれる」。そのときそう感じたことを覚えています。
出来上がった作品を岸田氏に身に着けてもらいたくて、ガルーシャの時計ベルトづくりに取り掛かりました。今振り返れば厚かましい行為ではありましたが、このときの”対抗心”が、今に続く私のものづくりへの根幹を築いたのだと思います。
完成品の写真を岸田氏の運営するFacebookページに勝手に投稿したのですが、残念ながらご本人からの反応はありませんでした(笑)。ただ、その投稿を見た数百人の人が一斉に「いいね!」を押してくれ、一様に好意的なコメントを残してくれたものです。
それからも懲りず、雑誌などで目にする度に、氏が身に着けている革製品をオマージュした作品をつくっては、岸田氏の運営するFacebookページに完成品の写真をアップロードするということを繰り返しました(笑)。
その後も岸田氏は、Facebook上では一切反応を示してくれなかったのですが、ある時計店に招待されて駆けつけたパーティーで初めて顔を合わす機会が訪れました。ゲストとして参加されていた岸田氏に「若いのに、いい腕しているじゃないか。俺とコラボしないか?」と声を掛けられたのです。勝手に写真をアップロードして怒られるとばかり思っていたので、嬉しい驚きだったことは言うまでもありません。
ガルーシャ革製品への想い 格好良くあるために
革製品の魅力は、使えば使うほど味が出てくるところにあります。
一方で、味が出てくるほど使用すれば、メンテナンスも必要になります。数万円もするような革製品であればアフターサービスがついていて然るべきですが、現実はそうではない。
だから私は、アフターサービスを充実させ、味が出てからも長く愛用できる製品を作りたいと思っています。
特に、ガルーシャは頑丈で長持ちするという特徴があります。まさに私の目指す革製品にはぴったりの素材です。加工が大変難しいため他の革製品に比べて少し値が張るかもしれませんが、その分長くご愛用いただける素晴らしい製品をつくることができます。
伝統とは引き継いだ技術をそのまま使うだけではなく、時代のニーズに合わせて変化を加えていくべきものです。私は、「良いものを作るだけでなく、お客様にご満足していただけるものを作ることこそがものづくりの本質である」ということをこれまでの経験から学んできました。
そして、紳士向けの高級時計に求められていることは「人にモテること」だと思っています。その上で、ガルーシャの時計ベルトは、私の心の師匠である岸田一郎氏のような「ちょいワル」や「やんちゃ」な格好いい大人を演出することができると強く信じています。
しかし、日本にガル―シャを扱う時計ベルト職人はまだまだ少なく、このままでは最年少の私が日本で最後の職人になってしまう可能性もあります。そのため、私のものづくりへのこだわり、姿勢に共感し、技術を学んでくれる後継者を育てたいという想いがあります。若い人の感性で、世界で一番カッコ良いガルーシャを作り続けていってほしいですね。