会津の漆器に新たな歴史を! 生産ゼロから再生させたい”漆の木”の植栽

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NPO法人はるなか・漆部会/ウルシノキの植栽活動

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「良質な漆を地元で。次世代のための植栽活動」という活動理念のもと、漆の原点である漆の木の植栽を2006年から行っている。植栽管理の作業は4月~11月に月1~2回。毎月第1日曜日の夜6時に漆部会を開いて、会津の漆器産業の再生のために尽力している。

▼活動への支援・協力のお問い合わせ先はコチラまで
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(NPO法人はるなか漆部会 担当:貝沼)


会津の地場産業・伝統文化を次世代へ 漆部会発足の背景

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時は江戸時代、かつての会津藩には、田中玄宰(たなかはるなか)という名家老がおりました。玄宰は、困窮する藩の財政を立て直すためさまざまな改革を実行し、酒造や薬用ニンジンの栽培、そして漆器の生産といった多くの産業を奨励し、現在まで続く会津の地場産業や特産品の発展に貢献した人物です。

それから年月が流れること200年余り。この地に根ざす伝統や文化を受け継ぎ、次世代につないでいくため、かつての名家老の名前を冠(かん)した「NPO法人はるなか」という団体が2004年に設立されました。

いくつかの部会に分かれて活動しているNPO法人はるなかですが、その中心的な活動が、私たち「漆部会」による漆の木(学名:ウルシノキ)の植栽活動です。

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会津は、現在でも全国第3位の規模を誇る漆器の一大産地です。その漆器づくりの原料となるのが、漆の木から採れる漆液(うるしえき)です。

もともと会津と漆の関わりは古く、縄文時代の遺跡からも漆でできた糸玉などが出土しています。そして室町の時代になると、当時会津を治めていた葦名(あしな)氏の奨励により、漆の生産が本格的になります。それ以来、会津には数十万本の単位で漆の木が育てられてきました。

それが昭和の時代が終わりに差し掛かるころには、会津での漆液の生産はほとんどゼロになってしまいました。

そこで私たちは、もう一度会津を「漆の里」にして、 会津の漆器を”会津産の漆”で作れるようになりたいと考え、会津の中山間部に漆の木を植栽する活動を始めました。そして15年後、自分たちで育てた漆で純会津産の漆器を生み出していきたい。

漆の木が育ち、漆液が採れるようになるまでには、15年以上の年月を必要とします。まだ活動を始めて10年の私たちは、これからがやっと自分たちの漆が採取できるようになるタイミングです。これまで地道に活動を続け、夢の実現の一歩手前まできました。これから本格的に会津漆器の新しい歴史を作る段階に入っていきたいと考えています。

 

 

皆さんご存知でしょうか? 漆の木の不思議とその現状

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「ウルシノキ」は、アジアにしか生息していない木で、オスの木とメスの木があります。(秋に葉が真っ赤になる「ヤマウルシ」とは別の種類で、ウルシノキの葉は黄色に色づきます。)
漆の木は表面を傷つけられると、自らの身を守ろうと漆液を流します。その樹液の力は偉大で、一度固まると硫酸のような強い酸や、濃アルカリ、アルコールに漬けてもほとんど変化しない素材です。非常に優れたコーティング剤であり、接着剤となります。とっても不思議ですよね。

この自然の力を日本人は縄文時代から活用し、樹液は漆器に、実(み)は和ロウソクの原料として使われてきました。
ちなみに、漆は木の中で、唯一「氵(さんずい)」が付く木です。

前述のとおり、漆の木 から漆液が採れるようになるには15年の歳月を必要とします。そして1本の漆の木から採れる漆の量はわずか牛乳瓶1本分(200ml)程度です。その量からどのくらいの漆器ができるかというと、お椀でいうとおよそ10〜15個程度です。

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そのような貴重な漆の液ですが、日本産の漆というのは、とても上質です。透明度が高く、さらさらしていて高品質。そして乾くと、とてもカッチリ堅牢に固まります。
しかし国産の漆の現状は危機的です。今や市場に出回っている漆のうち日本産のものは2%ほどで、そのほかは中国のような諸外国からの輸入に頼っているのが現状です。それに中国産の漆もここ数年で2、3倍の価格に高騰しています。もう一度、国産の漆の生産を復活させることは、これからも日本の漆器文化を守っていく上で非常に重要な根幹の部分なのです。

 

 

未開の地を開墾作業 まずは植栽する場所の確保から

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2004年、私たち「NPO法人はるなか・漆部会」は、地元で漆器産業に携わっている者を中心に結成しました。

発起人は、蒔絵(まきえ)師という漆器職人であり漆部会の初代部会長を務めた照井邦彦、漆器問屋の鈴木勘右衛門、そして残念ながら2015年春に亡くなってしまった漆掻き職人の谷口吏の3名が中心となりました。

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最初に私たちがしたことといえば、漆の苗木を植えることではありません。植栽する土地を借りることからのスタートでした。地元の人たちに理解を求めながら、最初にやっとお借りできたのは、山あいの小さな土地でした。そして土地の用意ができたら、次は漆の木を育てるのに適した環境をつくることに着手しました。

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高い木が生えていたり雑草が生い茂っていたりすると、風通しも悪くなり日光が苗木に当たりません。そのためスコップやチェーンソーなどを使用して、その土地を開墾していきました。照井と鈴木は、最初のうちは漆の木を育てることに関してはまったくの素人でしたから、漆掻き職人の谷口にいろいろと教わりながら、苦労を積み重ねて一本一本苗木を植えていきました。

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そのような活動を続けていくうちに、私たちの活動理念に賛同していただける人が増え、だんだんと仲間が増えていきました。

 

 

最高に気持ちのよい青空の下での植栽活動

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漆の木の本格的な植栽活動は2006年から始まり、2015年現在では累計約900本の漆の木を育てています。活動は雪の降らない4月から11月の間、月に2回程度、日曜日の午前中にみんなで集まって実施しています。

毎回の主な作業は、とにかく下草(雑草)を刈ったり、つる草を取り除いたりする作業です。実は漆の木は繊細な木です。一日中日当たりが良く、水はけと風通しも良い環境でないとうまく育ちません。そして他の草や木に少しでも侵食されると真っ先に枯れていく性質の植物に属することから、下草刈りなどの作業はかかせません。漆の木は、人が手をかけて愛情を込めて育ててあげることで質の良い漆が採れるようになるのです。

老若男女、会員やボランティアが集まり、森の中でみんなで作業をして汗をかく。それがとっても気持ちが良く、森の中での週末のリフレッシュにもなっています。

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午前の活動が終われば、その場で煮炊きした食事をみんなでいただきます。食事もそうですが、なんと器も、部会長である照井さんの奥さんのお手製の漆器たちです。炊き込みご飯やカレーや豚汁、森の中で食べる食事はひときわ美味しいので、この食事を毎回楽しみに参加している人もいるのではないかと思います(笑)。

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“楽しく真剣に”が私たちの合言葉。時には納涼会や忘年会といったイベントも行いますし、毎年春には、漆の新芽を天ぷらにして食べてしまおうという企画も開催しています。実は漆は韓国では漢方としても扱われるほどで、胃腸の動きを整える効用も持ち合わせています。肝心の味の方はというとねっとりとした「たらの芽」のような食感で、皆でおいしくいただきました。

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また楽しいだけではなく、作業の際には、しっかりと安全面にも気を使っています。作業には刈払機やチェーンソーを使用するのですが、使い方を誤ってしまえば大けがにつながります。ですからメンバーは機械の取り扱いの講習を受け、安全を第一に作業してもらいます。

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10年間漆の木を育てていますが、いまだに驚くようなことが起きることもあります。今年(2015年)は「クスサン」という害虫が大量発生し、一部の漆の木の葉っぱが全て食べられてしまうというトラブルが起きました。そのときは漆液の一大産地である岩手県浄法寺に問い合わせてクスサンの駆除に効く薬剤を調べ、それを散布することで対処しました。

過去には、冬の間に雪の重みで苗木が折れてしまったこともあり、現在は、竹を加工して苗を守る工夫をしています。このように皆で一緒になりながらトラブルを乗り越えて、漆の木を育てています。

本当に多くの人の協力があって、はるなか漆部会の活動が成り立っていることに感謝しています。

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最近では「テマヒマうつわ旅(http://tematrip.com/)」を中心に、県内外からの視察や体験参加も増えてきました。そうして今まで漆に関わりのなかった人も私たちの活動に参加してくれて「とても意義深い活動だ」と言って輪が広がっていくことや「漆器という言葉は知っていても、漆の材料が、こういう木からこういう風に採れるのは初めて知った」と言って、漆という素材そのものを知っていただけることがとっても嬉しいと感じています。

 

 

次の世代にバトンタッチしながら生まれる新しい動き

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近年では、さまざまな顔ぶれのメンバーが活動に参加するようになってきています。

現在の幹部体制は、部会長が産地の中堅塗り師の中心的存在である吉田徹、副部会長が地元の農林高校で先生をしている須藤聖一、漆器の作り手と使い手をつなぐ活動をしている漆とロック株式会社の貝沼航、そして若手塗り師の大森康弘の3名です。

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その中で吉田と貝沼が中心となり進めているのは、漆という原料の生産から、それを活かした付加価値のある漆器づくり、そしてお客さまの暮らしで永く使われるというところまでをつなげる仕組みづくりです。

「めぐる( http://meguru-urushi.com/ )」という漆器は、1組ご購入いただくと600円がはるなか漆部会に寄付される仕組みになっています。600円というのは、漆の苗1本分の値段です。つまり、一組の器につき1本の漆の木が会津に育つことにつながります。

そして漆器の良さは、お直し(塗り直し)をすれば何十年でも使い続けられること。「めぐる」のお直しは、将来、自分の応援で育った会津の漆によって行われる仕組みです。そしてその塗り直しの仕事は産地の若手職人たちが担います。

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まさに漆の木が育つスピードに合わせて、作り手と使い手の間を世代を超えて「めぐる」器なのです。

これは今始まっている事例の一つですが、これからも皆で知恵を持ち寄って、会津産の漆を活用して商品価値を高めた漆器を販売していきたいと考えています。

 

 

漆器の産地として再生を 目指せ植栽3000本!

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私たちの当面の目標としては、あと5年程かけて全体で3000本まで漆の木を増やすことです。漆掻きの職人さんが、年間200本ぐらい掻くと最低限の仕事量になります。それが15年で回る本数が3000本ということになります。
※ウルシノキは、1年で漆を採りきった後は新しい芽を育てるために伐採するのが一般的です

現状は会津若松市で4カ所の土地を借りて植栽しているのですが、3000本となるともっと多くの土地が必要です。そこで私たちは地域の遊休農地の活用などを検討しています。そうした場所を借りる費用やその後の整地などにはお金もかかりますので、ご支援を募っております。

他にも、草刈機のガソリン代、チェーンソーや鎌といった備品代にも使わせていただきます。

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あと5年で今まで育ててきた漆が採れますし、もう少し事業としても拡大していかないといけないタイミングでもありますが、まずは本数を増やすことを念頭に、一歩一歩、多くの人の力をお借りしながら、活動を続けていきます。

 

 

会津産の漆を使用し、会津塗の再興を目指しています

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私たちが最終的に目指しているものは、会津の漆器産業の再興です。というのも、会津には後継者となるべく修業中の若手職人たちがまだまだいます。会津の漆器産業を絶やさないために、また若い方たちへつなぐために私たちが今できること、やるべきことが漆の原点である漆の木の植栽なのです。

漆器産業そのものも、これまでは大量消費社会や生活様式の変化などで厳しい現状がありましたが、最近では、若い世代を中心に「いいものを長く使いたい、自然を感じる暮らしに戻りたい」という揺り戻しも感じます。そういうときに、文字通りその「土地」から生まれるストーリーというものは大事だと思っています。

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これまでNPO法人はるなかは、できるだけ公的な機関にも頼らず、年間予算も抑え、志のある市民や職人でやってきました。
しかしこれからは、自分たちで育てた漆をどう活用していくか、楽しみでもあり、ますます多くの外部からの力も必要になってくると思います。

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私たちの最終的な目標は「会津の漆」を取り戻すことで、その旗印を中心に「本物の漆器」が主役になる会津を再生していくことです。
まだまだ先は長いですが “楽しく真剣に”これからも活動を続けていきます。


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(NPO法人はるなか漆部会 担当:貝沼)