世界に類を見ない“酉の市”と熊手 脈々と続く粋な江戸文化を残していきたい

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清田一彦(きよた・かずひこ)/熊手職人

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1952年(昭和27年)7月23日生まれ。葛飾区青砥で生まれ育つ。 浅草の酉の市で知らない人はいないという熊手の人気店、「八百敏」の3代目。中学入学とともに熊手の仕事を始め、熊手一筋50年の職人。


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私の家では、祖父の代から熊手を作ってきました。今は私が3代目です。2代目である父は戦前から熊手の製作はしてきましたが、実際に「八百敏」としてお店を出したのは戦後の昭和26年(1951年)でした。「八百敏」という店名の由来は、当時よく酉の市の店を手伝ってくれていた人が神田青果市場に勤めていた人が多かったことからきています。私の父の名前の一字を取ってこの店の名前となりました。

物心ついたときから熊手は身近なものであり、中学1年で初めて熊手を作る仕事を始めたのです。気付けばもう50年が経とうとしています。

 

 

これぞ職人技!10年かけて培ったしめ縄を作る技術

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熊手のちょうど中心部分に置かれるしめ縄。これを私は藁(ワラ)を作る作業から手作りをしています。ミトラズという、身が実る前に刈ってしまう稲を用いるので色が青々としているでしょう。自分の田んぼで自ら稲を育て、それを熊手に使っているのです。

しめ縄を作るには10年かかりました。今でも丁寧に時間をかけて、藁(ワラ)作りから、しめ縄作りまで出来る熊手職人は私しかいないのではないでしょうか。今やしめ縄も手作りでないことが普通になってきていますからね。

またしめ縄だけでなく、パーツを染めたり絵を描いたりする熊手の工程がたくさんあります。

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熊手の手にあたる部分をツメと呼びます。ツメを丸めるために、もともと平らな竹に熱を加え、鉄パイプで柔らかくして形を記憶させます。丸み帯びてきたら藁(ワラ)でしばり、クセをつけるのです。このツメの数は1つの熊手に5〜7本ほど。中心に一本のツメを持ってこなくてはいけないことからこの本数は奇数にすると決まっています。

すべて手作業の熊手作りですが、疑問を抱いたことはありませんでした。祖父の代からこれが当たり前だったからです。生まれたときからそんな光景を見てきたのです。これが普通なので、大変だと思ったこともありません。私の息子や孫も手作りでやりますよ。こうして伝統の技が次の世代へと受け継がれていくのだと思います。

 

 

一つ一つに意味がある 華やかな熊手の飾り

熊手の上部に松の木をつけます。八百敏で製作する熊手のほとんどが、松または梅の木が飾られます。木の中に針金を仕込ませて曲がりをつけ、松の木の雰囲気を演出する。仕上げには黒く染め、膠(にかわ)という接着剤で固める。松竹梅を表すための飾りです。

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さまざまなアイテムを用います。おかめのお面は殖産、シャチホコは火除けを意味します。開運のちょうちんや七福神など、数え切れないほどのおめでたいアイテムが熊手には施されるのです。

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これまで作ってきた最も大きな熊手の一つに、このとても大きなおかめ(写真上)に合わせて作ったものがあります。このおかめの面は面師と呼ばれる面を作る専門の職人さんが作ります。これに合わせる熊手の高さは3mくらいになります。

すべて手作りなので、デザインもさまざま。どれも違うからこそ見どころがあるものなのですよね。物によってはしめ縄だけでなく俵があるもの、しめ縄と俵がセットになった熊手も作っています。

熊手のデザインの案は何気ない会話から生まれてくるものなんです。ベースとなるものは決まっているため、「今年はこんなものをやってみようか」などと家族との会話で決まるのが恒例です。

 

 

バロメーターは女性の好み お客さんのニーズに応えること

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熊手屋にとって大変なことは、時代にあったものを作り続けること。熊手の売れゆきが時代によって左右されるからです。何十年とやっているので、熊手につける品物の変化も見てきました。今の熊手はとても派手でしょう。これも時代の流れなのです。昔はもっと質素なものでした。

何が時代に合ったものなのかを知るのは、まずは熊手を作って売るしかありません。売るときにお客様の反応を見ることによって「これは良い、これは良くない」と認識できるのです。

もう一つのバロメーターは「女性」です。ご夫婦やカップルで熊手を買いにいらしたときに、男性が良いと思った熊手も、女性がお気に召さなかったら買われないということがよくあります。女性が気に入る熊手を作ることも、熊手作りの一つの鍵となっているかもしれませんね。

 

 

特徴は「まけた!」の声 熊手を買うときに知るべきこと

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八百敏は毎年浅草・鷲神社の酉の市でのみ熊手を販売しています。浅草には総勢40軒ほどの熊手屋が店を出し、毎年出店する場所は同じです。

熊手は商売繁盛を祈る縁起物であることから、もともとの客層は商人でしたが、時代によって客層が変わってきています。バブルの時は当時景気が良かった業界のお客様が多かったです。最近では、飲食店を経営するお客様が増えました。

40〜70年に渡って毎年のように買いにきてくださる付き合いの長いお客様も。先代が亡くなった後も、息子さんが買いに来てくださるのですよ。これまで来てくださったお客様にはハガキや年賀状を毎年お送りしています。

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熊手を買うときは、お客様が熊手屋に値段をまけてもらうことから始まります。お客様がまけることに成功したときは、熊手屋は「まけた!」と言う。まけてもらったお客様は熊手を買い、ご祝儀を熊手屋に渡すのです。これは買い値をまけてくれたことへの感謝の気持ちを示します。

またご祝儀を熊手屋に渡すことは、お客様自身が翌年の商売繁盛と家内安全を願っていることも意味するのです。そして最後に熊手屋はご祝儀をいただいたお客様に対し、次の年の幸せを祈願して手を叩きます。

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粋なお客様ですと、ご祝儀として酒瓶を2本持ってきてくださる方がいらっしゃいます。なぜ2本の酒瓶なのかというのは、2という数字が縁起がいいからですね。その場で一本瓶を開け、コップに酒を注いでそこにいるみんなで回し飲みするのです。最後にはみんなで手を叩いてお客様の商売繁盛の祈願。最近ではこのようなお客様は減ってきていますが、これも浅草酉の市ならではのことであると思います。

買う熊手の大きさは基本的には自由ですが、よくある買い方の一つには年々熊手のサイズを大きくしていく慣習がありますね。昨年よりも繁盛の祈願を込めて、一番大きいものを買ったら、次の年は初心に返るという意味で一番小さい熊手を買うことも。江戸の粋が感じられますよね。

 

 

熊手の文化の未来 東京五輪と次の世代への伝統継承

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浅草の酉の市は、江戸時代中期から開催されてきたとても歴史のある市場です。初日の深夜0時から24時間、のべ3日間かけて行われ、多くの人で賑わうこの文化は、浅草の酉の市でしか見られないもの。国内では歴史ある浅草の酉の市が伝統工芸品として認められ、次の世代へと何百年も受け継げられるものにしていきたいですね。

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江戸時代からの浅草酉の市の伝承のために、地域一丸になって活性化をはかりながら伝統を守り、次世代に技術の継承と保存が私たち職人の使命だと思います。
そのためにも、2020年に行われる東京オリンピックは、私たち下町の職人にとって「東京にはこんな面白いものがあるのだよ」とアピールするためのいい機会なのですよね。この素晴らしいチャンスに日本国内はもちろん、海外からのお客様にも酉の市、そして熊手の素晴らしさを知ってもらいたいです。