伝統技法から生まれた“絹彩画” 古き良きものから新しい文化を築きたい

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三枝史博(さえぐさ・ふみひろ)/絹彩画 画家

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絹彩画画家。1985年東京都生まれ、山梨県育ち。中学卒業後、つくること、描くことがしたくて通信制の高校に通いながら、溶接業とエアブラシでのカスタムペイントを始める。それから10年後、絹彩画に出合い、介護施設で働きながら独学で作品づくりを開始した。


初めて目にした“木目込み”技法に驚き 独学で習得始める

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私が絹彩画と出合ったのは、考案者である前野節(まえの・せつ)さんの2012年のカレンダーでした。

絵を描くという仕事柄、いろんな技法の作品を見てきたつもりでしたが、絹彩画で使われている“木目込み”という技法や着物の生地の風合いは、初めて見たものでした。

どうやって表現しているんだろう、と衝撃を受けたのを覚えています。
そこから前野さんの絹彩画に関する書籍を購入し、みようみまねでやってみました。
やってみると、その技法や着物の生地が出す雰囲気にさらに惹き込まれていきました。

その後、前野さんの展示会に伺い、挨拶をさせてもらい、“絹彩画”という名前を使って自分の作品を発信していくことの了承を得ました。

前野さんからは、「完成されきれていない部分があなたの魅力だと思う。まだ(絹彩画を手掛けて)日が浅いけど、これだけ作品を形にできるということに満足しないで、もっともっと可能性を広げていってほしい」と声をかけていただきました。優しく、同時に厳しく諭すような言葉でした。

 

 

両親の影響で絵を描く 介護施設で働きながらものづくりの道へ

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もともと、両親が絵を描くことを学んでいたこともあり、休日には家族で絵を描いたり、木を使って工作をしたりして過ごしていたものです。

幼いころからそんな環境で育ったので、作ること、描くことが自然と大好きになりました。
中学卒業後、通信制の高校に通いながら、溶接の工場での仕事と自宅でエアブラシでのカスタムペイントを始めました。なにか作ること、描くことをしたかったんです。

工場では、図面を見ながら溶接を行う仕事を10年間しました。
同時期に始めたカスタムペイントは、7年ほどは家の倉庫などで看板やバイクなどを請け負っていたのですが、あるとき声をかけていただき、カスタムショップで3年ほど働きました。

しかし、頼まれて描くという仕事のスタイルは、自分が思うように形にできませんでした。葛藤の末、すべてを一度リセットすることに。
そして、まったく違うことをしようと、介護施設で働くようになりました。今でも作品制作の傍ら、介護にかかわっています。

絹彩画に出合ったのは、そんなときでした。

 

 

絹彩画とは? 大まかな工程は4つ 半年かけて完成した作品も

私が絹彩画をやっていて魅力だなと思っていることは、「作る」「描く」の両方の楽しみがあるところ。
大まかな工程としては、以下の4つです。

【工程1】下絵を描く

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【工程2】溝を掘る

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【工程3】生地を選ぶ

【工程4】木目込む(溝に生地を押し込んでいく)

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この4つの工程を繰り返すことで、作品が出来上がります。
小さいものなら数日でできるものもありますが、約半年かけて作成したものも中にはありました。

 

 

木目込みの魅力…時代も産地も異なる着物生地が、1つの作品になる

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私は特に、4工程目の生地を木目込んでいく工程が好きです。

生地と一概に言いますが、着物の生地には、いろんな種類があります。

時代や地域によって、織り方や染め方、その柄などに特徴があり、隣り合う可能性なんてなかったはずの生地同士が一緒になって、一つの作品になっていくのが魅力的です。生地を選ぶときには、呉服やさんや骨董市など、イメージに合うものを求めて全国各地に行くことも多いです。

自分で色を作れるわけではないので、時には生地を探し求めて数か月ということも。
イメージしたものが見つかったときの嬉しさは、相当のものがありますね。
最近では、着なくなったものや端切れを作品に使ってください、と譲ってくださる方もいます。着物としての役割を一度終えたものが、違うカタチになって表現されていくというところにも魅力を感じています。

 

“日本人である”意識と“日本文化”への想いに気付かされる

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絹彩画をやり始めて、改めて「自分は日本人だな」ということを強く感じるようになりました。

カスタムペイントをやっていたころは、70年代・80年代のアメリカ文化に対する憧れが強く、誰もが「かっこいい」と思うものをつくりたいという気持ちがありました。

でも、一度すべてをリセットして、自分を見つめ直したときに、これまで意識しなかったことに初めて気付かされました。

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日本人であるということです。

日本に生まれ育ち、昔から書道、剣道、居合道などを習い、もともと日本の文化が大好きだったということ。原点をたどり、日本人である自分を改めて再認識したのです。

絹彩画がそれに気付かせてくれました。

 

技術の伝承も普及手段の一つ、完成されていないからこそ発信が必要

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2015年には、絹彩画の体験教室で、初めて講師を務めました。

自分自身も未熟な状態ですし、教えるというのはなかなか難しいことだなと実感しましたが、同時に今後もそういう場は作っていきたいと思っています。作品だけを見てもらうのも発信の方法ではあるけれど、実際に体験してもらうのも重要な情報発信の手段だと感じたからです。体験教室に来てくださった一人一人に、絹彩画の発信者になってほしいという思いでお話をしました。

絹彩画は、木目込みという伝統技法を用いた工芸ですが、まだまだ完成されてはいません。だからこそ、もっともっと多くの人に、絹彩画についての情報を届けていきたいです。

 

なぜ、私の作品は金魚をモチーフにした作品が多いのか?

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私の作品のモチーフには、金魚がよく登場します。

金魚の動きは人間の感情と重ね合わせやすい、と感じるからです。 人と触れ合う中で感じ取ったことが、今後も金魚の作品などに反映していくと思います。

介護の現場では、介護を通して自分以外の人の人生をのぞくような体験がよくあります。ふとした会話の中での楽しいエピソードから、勉強になる文化や歴史のお話など。私の知らなかった世界観に触れる機会も少なくありません。

人との出会いはまさに、作品制作のインスピレーションにつながります。これからも大切にしていきたいものです。

 

伝統技法と現代発想のコラボレーション 可能性は無限にある

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前野さんが考案された絹彩画は、スチレンボードを使うのが基本です。 素材が柔らかく、溝を掘りやすいので、弱い力でも製作しやすいのが特徴です。

私は木材を使って、絹彩画の作品を作っています。
木目込みの技法自体は、先にもお伝えしたように古くから行われているのですが、絹彩画自体はまだ30年ほどの浅い歴史しかありません。

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だからこそ、決まりもなく、自由に発想していけるのです。

今後は、流木など自然のものをどんどん使ってみたいです。可能性はいろいろとあるので、模索しています。
私の作品を見た方から、こんな作品も作れるのでは?と期待していただけるのが、一番の楽しみです。

伝統の技術と現代の発想とのコラボレーション。それを実現したのが“絹彩画”だからです。

私が初めて絹彩画を知ったときの驚きと衝撃と感動を、多くの方にも体験してほしい。そのために、夢のあるものづくりの担い手として、これからも作品づくりを続けていき、絹彩画の魅力を発信していきます。