50代から始めた職人の道!衰退する伝統の鹿沼ほうき産業を守りたい

LINEで送る
Share on LinkedIn
Pocket

鈴木隆(すずき・たかし)/鹿沼ほうき職人

prof (1)

創業宝永元年(1704)頃の老舗箒店。創業当時は麻の製造販売に始まり、江戸中期から鹿沼の名産となる鹿沼箒の製造販売元となる。現在は、鹿沼箒の製造の他に、履き物、祭り用品の製造販売も行っている。


image1 (1)栃木県鹿沼市は鹿沼ほうきの産地として伝統が残る町です。その歴史は古く、起源は200年以上も前になります。全盛期には鹿沼地域だけで1000人を上回る職人がおり、当時の行商たちの活躍もあり、鹿沼ほうきは日本全国に広まっていきました。しかし、時代とともに私たちの暮らしも変わり、ほうき需要の低下を止める手立てはなく、繁栄を極めた鹿沼ほうき産業も、現在では大幅に縮小され、職人の数も片手で数える程になってしまいました。そんな鹿沼ほうきの伝統産業をなんとか未来へつなぎ、ほうきの文化を多くの人へ伝えることが、私の使命であると思っています。

 

 

衰退を続ける鹿沼箒産業 自分がやらねば誰がやる

image2 (1)

現在、鹿沼ほうき職人はもう数人程度しかおりません。それも、かつて鹿沼ほうきの繁栄を築き上げた70歳を超える職人を残すだけとなりました。その背景には、日本という国の発展が関係しています。働く場所の工業化が進み、職人を辞めてしまう人が増えたこと、住宅環境の変化、ほうきの活躍する機会がなくなっていったことなどが、鹿沼ほうき職人の減少の大きな要因とされています。

image3

私の家は鹿沼の地で古くから鹿沼ほうきの製造・販売を手掛けております。専門の職人を雇い、製造したほうきを販売してきた、いわゆるほうき問屋ですね。私で15代目になります。そんな昔から続く私の家でも、職人の高齢化により、そのほとんどが現役を引退されていきました。先にもお話しましたが、職人はすでに70歳を超える方々ばかりですから。

今いる職人が引退してしまっては、店を続けていくこともできません。なぜなら他に作り手がいないのです。私はこの現実に直面したとき、あらためて鹿沼の伝統産業が失われてしまう危機感を覚え、このままではいけない、それなら自分が作り手になろう、後継者になろうと思い立ちました。また15代続いた店を、こんな形で終わらせることはできないという思いもありました。しかし、いくらほうき屋に生まれ、ほうき屋で育ち、ほうき屋の営業として長年働いてきたといっても、作り手としては未熟者です。そのため今までお世話になっていた職人さんの元を尋ね、50代半ばにして一人の作り手として弟子入りを志願することにしたのです。

image4

最初に教わったのは、材料である草の目利き。鹿沼ほうきは「ほうきもろこし」と呼ばれる草を用いて作られます。全長2メートルもの草が生い茂る中から真っすぐで、くせがないものを厳選し、全て手作業で収穫します。

またこの草を育てる農家も、今ではほとんど無くなってしまったため、草を育てるための土壌作りも勉強しました。素人が単純に種をまいただけでは、未熟な草や、くせのある草になってしまい、ほうきの材料として使うことはできません。特に肥料の分量はとても重要になります。自ら種をまき、草を育て、収穫してほうきに加工する。これら一連の流れを3年がかりで覚えていきました。もちろんまだまだ師匠の技術には到底かないませんが。

 

 

乱れがなく目が細い”蛤ほうき”を作る技術を習得したい

image5 (1)

私の師匠はすでに70歳を超える、この道60年以上の職人です。私の目標はこの方の技術に生きているうちに追いつくことです。
師匠の作品を見ると、ほうきのつくりがとにかく細かい。鹿沼ほうきの特徴は、草を束ねた元の部分が扇状に膨らみ、まるで蛤(はまぐり)のように見えるところです。そのため「蛤ほうき」なんて呼ばれたりもします。師匠の蛤は一切の乱れがなく、非常に目が細かく、私のような未熟者が同じように再現しようと試みても、まずできません。今の私にできることは、師匠の仕事を目に焼きつけ、さらに技術の向上を図ること。加えて、鹿沼ほうきの文化を守るために行動することだと考えています。

image6

数年前から始めたワークショップがその一環です。ミニほうきやほうき人形を一緒に作ることで、鹿沼ほうきに興味を持ってもらい、このワークショップを鹿沼の観光資源とすることができれば、鹿沼ほうきをもっと身近に感じてもらえるのでは、と思ったんです。今では月に10人くらいの人が訪れてくださるようになり、皆さん夢中になってほうきを作っていきます。

image7

また地元の小学生たちが、私の工房へ見学に来ることがあるのですが、毎回それが楽しみで仕方ないです。見学が終わった後に、子どもたちからお手紙を貰うのですが、ずっと大切にとってあります。私の宝物です。当時小学3年生だった女の子が高校生になり、わざわざ私の下へ挨拶に来てくれたこともありました。「小学3年生のとき、ここでほうきを貰ったこと覚えてますよ」って。こうした子どもたちの笑顔や言葉は、忘れることはできませんね。

 

 

縁起がよく、子宝に恵まれると言い伝えがある鹿沼ほうき

image8

鹿沼ほうきの歴史は非常に古いと冒頭でもお話しましたが、ほうきの歴史となるとさらに古いものになります。ほうきは元来、神様へ捧げるものとしての役割があり、大変縁起の良いものです。

特に鹿沼ほうきは開運ほうきとして有名です。特徴的な蛤(はまぐり)のような形は子宮を表現しており、子宝に恵まれますようにとの願いが込められています。またほうきにあしらわれた麻の葉の模様は、麻は成長が早い植物であることから、子どもの成長を願ったものであり、末広がりの形状は、さらなる活躍の幅を意味しています。そのため、嫁入り道具としても使われてきました。

image9 (1)

これは余談になりますが、私の店は大坂屋「夢ほうき」といいます。実は、その名前と縁起の良い鹿沼ほうきを作っていることから、とある宝くじ売り場の看板に夢宝来(ゆめほうき)として、当店のほうきが採用されているんです。以来、なんとその売り場から高額当選者が続出しているそうです。ほうきが福を呼び寄せているのかもしれませんね。

image10

またほうきにしかない機能性や豆知識だってたくさんあります。掃除機と比較されることが多い箒ほうきですが、ちょっとした掃除には、コンセントを利用する煩わしさがないほうきが最適です。そのため、掃除機を持っていたとしても、ほうきも一本は必要だとおっしゃる方も多いんですよ。加えて、動作が静かで、電気も使わないため、とてもエコであると言えます。また畳が傷まないように柔らかく掃除できることも、ほうきならではの魅力です。

茶殻をまいてほうきではけば、ほこりが立たない上に、茶殻の成分が殺菌もしてくれます。草にくせがついてしまったら、水で薄めたお酢を霧吹きして、1日も干せばまた気持ちよく使ってもらえます。それこそ大掛かりなお手入れも必要なく10年、20年と箒を使っていただけるんですよ。

image11

私は、このようなほうきにまつわる雑学や、お話をできる場も作りたいんです。サポーターさんが集まった暁には、交流会を開いて、もっと気楽に伝統工芸やほうきの雑学について、語り合える場を持ちたいと思っています。私にとっても、いらしてくださった方々にとっても、新しい発見やワクワクが生まれると思います。ほうきの歴史や魅力、ほうき作りについてなど、持てる知識のすべてをお伝えしますので、どうか楽しんでくれたら幸いです。皆さんとお話しできる日を、心より楽しみにしております。