最年少の遠刈田伝統こけし工人として、私がこの文化を守っていく

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日下 秀行(くさか・ひでゆき)/伝統こけし工人

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遠刈田伝統こけし工人。1977年、宮城県白石市生まれ。2009年(平成21年)6月から宮城県蔵王町の「伝統こけし工人後継者育成事業」で伝統こけし製作を学ぶ。その後、伝統工芸士・佐藤哲郎氏に師事。


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宮城県蔵王町遠刈田の「伝統こけし工人後継者育成事業」に応募し、将来のこけし工人として修行。今秋の独立開業を目指してこの地に移住しました。遠刈田の最年少こけし工人として、私が伝統を守っていくのだと心に誓っています。 いつでも笑っている!というのがこけしの魅力。私のこけしを見てたくさんの人になごんでもらいたいです。

 

 

一生の仕事を見つけるため、職を転々とした20代

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蔵王町の隣、宮城県白石市に出まれ育ちました。だいたいどこの家にもこけしが必ずあったので、こけしは生活の中に溶け込んでいて、昔からとてもなじみが深かったです。

東北はこけしの産地ということもあり、地元の小学校では体験学習などで必ずこけし作りをしていて、私も子どもの頃に作った思い出があります。

学校を出て、しばらくは土木・建設業の仕事をしていました。

しかし、20代後半になったとき、「このままでいいのだろうか」という迷いが生じ、一生続けられるような自分の天職を探し始めました。サービス業から営業、販売業まで経験してみたのですが、どれも違うように感じて……振り返れば、もともと携わっていた建設の仕事は”ものづくり”。物の大小はあるけれど、”ものづくり”に関わっていたので、製造業で働こう!と、職業安定所で製造業の求人を見つけて応募したのです。

求人票には、「伝統こけしの製造・販売」とありました。だから、私は最初、こけしを作る職人ではなく、こけしを製造・販売している企業に雇用される社員になるのだとイメージしていました。

 

 

宮城県蔵王町「伝統こけし工人後継者育成事業」に応募?

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ところが、書類選考に通過して面接に呼ばれて行ったとき、「何か違うぞ?」と驚きました。面接会場にはおじいちゃん(こけし工人)が何人か座っていて、突然こう聞かれたのです。

「遠刈田の伝統を守っていく気があるのか?」

初めは何のことを言っているのか分からず、つい「そんなこと急に言われても……そんな気はないです」と返答してしまいました。
10分くらい面接官のおじいちゃんたちと面談をして、その時初めて、この採用が蔵王町遠刈田の「伝統こけし工人後継者育成事業」職人募集だということが分かりました。

遠刈田系のこけし工人は、1950年代のブームには300人ほどいたようです。
今では70、80代と高齢化が進み、こけし工人自体も20人弱しかいなくなってしまいました。このままでは伝統こけしの作り手がいなくなってしまうので、町の育成事業が立ち上がったという背景でした。

 

 

運命的な出合いからの入門、4年間の研修・修行生活へ

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この育成事業には、全国から100名くらいの応募があったようです。なかなかの倍率だったので、私は完全に落選したと思っていました。

ところが、採用担当者から電話があり「採用です」と告げられたのです。

「え!何でだろう……」と不思議に思っていたのですが、後で聞いたら、面接官のおじいちゃんも初めての経験だったし、「直感を重視した」とのことでした(笑)。私の性格や人柄をこけし工人のおじいちゃんたちが気に入ってくれたのかな……(笑)。

こうして思いがけずこの業界に飛び込むことになり、研修が始まりました。

私を含めて3名選ばれ、町から給与をもらいながら学びました。
最初の3年間は、遠刈田伝統こけし木地玩具業協同組合に所属している数名のこけし工人から指導を受けました。

 

 

道具作りから”描彩”まで 遠刈田独特の伝統こけし学ぶ

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こけし作りはまず、道具作りからやらなければいけません。

なぜなら、こけし製作に使う専用道具は売っていないからです。用途に合わせたカンナを10種類くらい作りました。鋼の棒を買ってきて、棒に炭をおこして焼いてたたいて、一つ一つカタチを整えていくのです。

道具が出来たら木の挽き方を教えてもらいました。こけしのカタチを作る作業になります。

東北の伝統こけしは11系統、宮城県には4系統の種類があります。系統によってカタチやデザインが違い、私は遠刈田独特の伝統こけしのカタチを習得しました。

最後に学んだのは”描彩”です。こけしの頭・顔・胴体の絵付けです。

私は研修を始めるとき、建設業に比べたらこけし作りは簡単だろうとたかをくくっていました。しかし、この”描彩”が本当に難しかった。丸いものに絵を描くのは至難の業です。そもそも絵なんて描く機会はこれまでほとんどありませんでした。だから、研修で学んだほかに、いろんなこけしを見に行ったり、本を読んだりして勉強しました。

 

 

仕入れ・製作から販売まで、こけし工人が全作業を一人で

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最後の4年目は、特定の師匠についてマンツーマンの師弟関係の中での修行でした。伝統こけしの世界では、必ず誰か師匠について学ばなければ継承者として認められません。師弟関係があって成り立つのが伝統こけしの文化です。

また、こけし工人というのは原木を購入し、加工し、木地を挽き(こけしのカタチを作り)、描彩し、お客様に売るまでの一連の作業を全て一人でこなします。他のこけし工人との共同作業というのは存在しません。余談ですが、こけし作りが上手でも、売るのが下手だと成り立たない業界です。

師匠は自分で選ぶことができるのですが、私は伝統工芸士・佐藤哲郎さんに師事しました。師匠のこけしが好みで、こんなこけしを作ってみたい!と思ったからです。師匠は1932年(昭和7年)生まれで現在82歳。生まれも育ちも遠刈田で、とても優しいおじいちゃんです。

職人の世界では、「理屈で覚えず見て覚えろ!」という昔流の風潮があるとよく聞きますが、師匠は違いました。時代に合った教え方をしないと若い人には伝わらない、という考え方をする人で、一つ一つの質問に対して丁寧にきっちり教えてくれました。だから、私の飲み込みも早かったと思います。

 

 

唯一の継承者としてお店の開業、コンクール入賞目指す

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師匠の元を卒業してから1年間、みやぎ蔵王こけし館で木地玩具の製作補助や来館者にこけし製作実演と体験教室の指導などを行っていました。

そして、2014年秋の独立開業を目指し、つい最近、白石市から蔵王町遠刈田に移住しました。師匠の家からも近く、今でも何かあると訪れて交流を続けています。

この地に移り住み、遠刈田の伝統こけしを継承するために、また、師匠の顔に泥を塗らないために、一生懸命真心こめてこけしを作っていきたいと思っています。まずは早く店を開くことが目標です。

伝統こけし作りはもちろんですが、新しいデザインを取り入れたこけしも作っていきたいです。鳴子の「全国こけし祭り」、山形の「みちのくこけしまつり」などのコンクールにも出展して、入賞を目指したい。そうすれば遠刈田の伝統こけしを多くの方に知ってもらえるからです。そして、ゆくゆくは私の後継者を育てていきたいと思っています。

 

 

使っている道具類

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