“人の思いを形にする”人形師として 1000年以上続くおひな様をより魅力的に

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東之華 (とうか)/女流ひな人形作家

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鹿児島県生まれ。高校卒業後、女優を目指し上京するが、百貨店主催の伝統工芸展にて、人形師東之湖のひな人形製作実演を目にしたことがきっかけで、十二単の衣装に魅了され人形師の道へ進む。今まで受け継いできた”伝統と格式”や”素材や技法”にこだわり、真心を込めてお客様に愛されることのできる「人形」を創っている。

▼公式サイト
人形巧房ひなや

経歴
平成16年 人形師東之湖に師事
平成21年 東之華初のひな人形作品「藍桜」が関東地区で脚光をあびる
平成22年 「ウエディング雛」を発表、昨年以上の高い評価を受ける
平成23年 鹿児島県で「Welcome Doll」を発表。南日本新聞に掲載
平成24年 宮城県岩沼市玉浦小学校に「絆雛」を寄贈。感謝状を授与
平成24年 史跡草津宿本陣一般公開十五周年企画展 本陣 桃の節句に寄贈
平成25年 史跡草津宿本陣 桃の節句 「雛人形の歴史」トーク出演
平成25年 東之湖と東之華の実演とお雛様のお話出演
平成26年 史跡草津宿本陣 桃の節句


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千年以上も昔の平安時代から、さまざまな人の思いを込めて作られてきたひな人形。時代の変遷に合わせておひな様のスタイルは変わってきましたが「人の思いを形にする」という根本にあるものは、絶えることなく現代まで受け継がれてきました。

私は女流人形作家の東之華(とうか)と申します。男性中心のひな人形の世界で、女性だからこそ表現できることを大切にして、真心を込めて、お客様に愛される”人形”創りをしています。

展示会への出品や後継者の育成、海外への作品披露など、やらなければならないことはたくさんありますが、一つずつしっかりと目標を達成して、ひな人形の文化を次の世代につないでいきたいです。

 

 

鹿児島県でタレント活動を始め、女優を目指しいざ上京

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まずは私が女流人形作家を志すきっかけにもつながる、女優を目指していた若き日のことから、お話させていただきます。

私は昔から人を楽しませたり喜ばせたりするのが好きで、高校生になると、地元鹿児島県のイベント会社が企画するイベントに出ていました。そうした活動をしていく中で、鹿児島の放送局からテレビ出演の依頼があって、タレント活動を始めることになったのです。

テレビコマーシャルやドラマに出演したりと、今までにない体験をすることも多く、刺激的でとても楽しかったですね。そんな中でテレビ業界の関係者とご縁があり、高校卒業後、東京の芸能事務所に入ることが決まりました。

そして18歳で上京。これから女優として頑張っていこうと期待で胸を膨らませていましたが、そうそうすぐに仕事が入るわけではありません。それに加え知り合いも全くおらず、東京になじむことができずに、精神的にもつらい状況が続きます。

おまけに顔には発疹ができてしまい、当時の私は「顔があっての女優業なんだから、こんなんじゃテレビになんて出られるわけない」と思い、精力的に活動することを控えるようになっていきます。
今であれば人間顔だけじゃなくて、中身も大切ということが言えるのですが、そのころの私はまだまだ子供です。小さいことばかりにとらわれていました。

そうして仕事の依頼を断っていると、以前はいただいていた番組出演の依頼もこなくなってしまいます。だからといって生活をするためには休んでばかりいるわけにもいかないのですが、仕事と生活との兼ね合いがうまくいかず、とにかく生きていくこと自体が大変でした。

 

 

一目見て心を奪われたひな人形との出会いが人生の分岐点

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女優としての仕事もうまくいかず途方に暮れていた私は、朝から晩まで働いていました。それは生活のためということもあるのですが、家にいてテレビをつけると、今まで一緒に活動していた子がテレビに出ていて、それを見るのもつらくて…寝る間を惜しんで仕事をしていました。

そんな生活をしながらも「このままではよくない」と悩んでいるときに、たまたま百貨店主催の伝統工芸展を見る機会があり、そこでひな人形製作実演を目にしたことで私の人生が変わりました。
ひな人形を見た瞬間、ひきつけられ、魅了され、癒される感覚を覚えたのです。

その場で後の私の師匠となる、人形師の東之湖(とうこ)氏とお話させていただいたのですが、人形を製作しながらも体は大きな病を抱えられている方で、話を聞いていると自分が今まで悩んできたことが、とてもちっぽけなものだと思えるようになりました。

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それからは、師匠の実演に何度も足を運びました。師匠からも「気になるんだったら、京都や大阪の作品も見に行ったらどう」と言われ、ひな人形の作品を見るために関西に出かけ、滋賀県にある師匠の工房も見学させてもらいました。

最初は純粋に「きれいだな」と思っていただけでしたが、師匠とお話をさせていただくうちに、人形師という職業がとても素敵な仕事だと感じ、私も人形を通して誰かの役に立つことができたらと思うようになりました。人を幸せにするということは、タレントであっても人形師であっても、表現の形が違うだけで一緒ということにも気づいたのです。

私は今までものづくりをしてきたわけではありませんが、職人の世界に飛び込むことを決意しました。

 

 

無理やり飛び込み弟子入り!師匠の下での修業が始まる

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私は人形師となることを決意しましたが、師匠から弟子入りの承諾を得たわけではありません。私が弟子入りしたいとお願いしても「職人の世界は女性が少ないし、厳しい世界だ」とあやふやな回答が返ってくるだけでしたので、ついには強硬手段をとることに。

東京の住居を引き払い、滋賀県にある師匠の工房に自分の荷物を送ってしまったのです。事前に荷物を送るとは言ってあったものの、師匠は半ば冗談として受け取っていたようで、本当に荷物が送られてきたので、かなり驚いていたようです。
そうして、工房の近くに住まいを見つけ、私の修業生活が始まりました。

タレント活動を始めたころと同じように、知らないことばかりで楽しく、すんなりと職人の道へと入っていくことができました。それに、私の師匠は新しい発想や挑戦には寛容なタイプで「産業自体が縮小している時代だから、思ったことは大いにやってみろ」と言われることもあり、師匠の人柄に助けられた面もあると思います。

私自身も人形製作に関するありとあらゆる本を取り寄せて、一から勉強をしていきました。最初は教わる一方でしたが、4年間の修業期間のうち、終盤になると師匠と意見を出し合いながら、一緒に作品を作っていくこともありました。

どのようにしたら自然で美しいひな人形ができるかを考え、時には十二単(ひとえ)を私がはおり、その姿を師匠が見て実際に形にするということもしました。

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ひな人形には、強拵え(こわごしらえ)と柔拵え(なえごしらえ)という2通りの製作方法があります。強拵えとは型にはめたように整える着せ付けかたで、仕上がりの雰囲気はかたく、きちんとした感じになるのが特長。対して柔拵えは生地の柔らかさを十分に生かした着せ付けとなり、仕上がりの雰囲気はやわらかく、ゆったりとした印象を与えます。

折り鶴を紙で作る場合と布で作る場合をイメージすると、その違いが分かりやすいかもしれません。紙で作れば形にしやすいですが、布で作ると形にしにくい分、自然な柔らかさが表現できます。

大半の人形師は強拵えの手法で人形製作をしておりますが、私は柔拵えにこだわっています。というのも、柔拵えの技法を用いることで、おひな様の女性特有の柔らかさを表現できると思っているからです。

そしておひな様の姿勢についても、ただ真っすぐ座らせるだけではなく、立たせてみたり、源氏絵巻の一コマをモデルにしたり、肩やひじの角度を調整しながら、いかに美しく優雅に見えるかを追及する。
そういったことを修業中は師匠から教わり、また一緒になって勉強をしていきました。

 

 

女流人形作家として、自分にしかできない表現を模索

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自分の作品が東京での展示会で賞をいただいたことが独立のきっかけになりました。師匠自身も「自分の下にいると、いかに手をかけた人形でも東之湖の作品の一部になってしまうので、外に出て自分の名前で作品を展示することで、お客さんから直接評価をいただき、勉強にもなる」と独立することを勧めてもらいました。そして、東之華という名前を師匠からいただき、自分にしかできない作品づくりをしていくようになります。

人形店には一生に一度行くか行かないかという人が多いと思いますが、初節句のときに店を訪れるだけでなく、何度も作品を見に行きたくなる人形を作るように心がけています。

伝統とは、文化の根本となる軸の部分は守りつつも、いろいろなものと融合しながら残っていくものだと考えています。だから、もちろん古典的な作品も手掛けるのですが、和の素材で洋風のおひな様を製作することもあり、さまざまな挑戦もしています。中でもウエディングドレスをイメージしたおひな様は業界内でも話題を呼び、ロングセラーとなっています。

最近では老若男女問わず私のひな人形を気に入ってくださる方が増え、初節句以外にも店を訪れ、購入していただくことも多くなりました。

 

 

後継者の育成を目標に、東之華の人形は次のステップへ

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毎年6月には業界の展示会があります。そういった場で面白いと思ってもらえるような作品を発表することで、人形師としての評価を上げていきたいですし、注目されることで後継者育成にもつながると考えています。

私が師匠に技術を教えてもらったように、私も次の世代に技術を継承させなければなりま せん。千年以上続くおひな様の文化を、今後も残していきたいですから。また、若い人に教えることで、新しい感性を取り入れることができ、より魅力的な人形が出来上がるとも思っています。

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そして、将来的には世界各地でもひな人形を展示していきたい。実はそれに先駆けて、2014年から私が製作した人形が、縁あってアメリカのミシガン州で展示されているのです。

人形師としての個性は、おひな様に十二単の着物を重ねて着せた際の、衣装の色目に表れます。そこで四季を表現したり、作品のテーマを映し出すのです。十二単のような衣装は日本にしかないですから、実際にひな人形を見て、ミシガンの人も喜んでいるそうです。私は繁忙期だったもので、まだ展示の様子を見に行けてないのですが、実際に見に行くのを楽しみにしています。

日本の職人は色彩感覚豊かで、非常に繊細な仕事をしますから、そういったところも含めて、日本のひな人形を世界にアピールしていきたいです。