減少する型紙需要、芸術的な日本の美“型紙文化”を残すため新分野へ挑戦

LINEで送る
Share on LinkedIn
Pocket

西村武志(にしむら・たけし)/友禅型彫り職人

image31

京都の地で昭和9年から友禅彫刻業を営む、西村友禅彫刻店の二代目店主。1967年から初代・西村友喜知(ともきち)氏に師事。父から受け継いだ友禅彫刻の技法を駆使し、心を込めて彫り上げた「人の心に何かを語りかける型紙」を日常生活の中に届けられるよう、現在新たなアプローチでの商品制作、販売を目指している。

▼公式サイト
西村友禅彫刻店
▼ECショップ
京都SHIKONYA
※大人気の「iPadケース」も購入できます。

経歴
●第一回京都市「未来の名匠」認定
●東京銀座ギャラリー京都都メッセ代表出展
●日原佐知夫プロデュース「京と今のわプロジェクト」参画
●西堀耕太郎プロデュース「KYOTO CONTEMPORARY」上海/パリ出展
●恵比寿三越「CONTEMPORARY展」 出展
●上海「100%上海」出展
●フランス パリ 展示商談会出展
●代官山ヒルズ「凱旋展」出展
●新宿伊勢丹 展示販売会出展
●京都都メッセ「未来の名匠 技の披露展」出展
●日本橋三越 展示販売会出展(1F メインエントランス正面)


image1 (1)

着物文化を影から支える存在である”型紙”。型紙とは、渋紙を小刀で彫り抜き、さまざまな模様や花鳥風月を表現し、それを着物にあてがい染色することで、美しい模様を投影するための染色道具の一種です。

振袖や留袖、訪問着などの着物、その他小物類にいたるまで、物によっては数百枚の型紙を必要とする場合もあります。その一枚一枚全てに、魂を込めて小刀を走らせる。それがわたしたち、型紙職人です。型屋なんて呼ばれることもあります。

image2 (1)

一昔前までは、決して表舞台に立つ存在ではありませんでしたが、現在では染色道具としての面だけではなく、その繊細な仕事と、高い芸術性を兼ね備えた美術品として、型紙が見直されつつあります。

私は父から受け継いだこの技術を廃れさせるわけにはいかんと思い、持てる技術の全てを駆使して「人の心に何かを語りかける型紙」を日常生活の中に届けることを目指し、新たなアプローチで作品制作に挑戦しています。

 

 

親父には「おまえの好きなことをやれ」と言われたが・・・

image3

昭和9年(1934年)創業の友禅彫刻専門店の跡継ぎとして生まれましたが、10代の頃は建築家になりたいと考えており、工業高校に通って日々建築の勉強に追われる毎日でした。それでも、家に帰れば型紙を彫る親父がいて、ほぼ毎日仕事を手伝っていました。

image4

私が特別というわけではなく、あの時代は親の仕事を子どもが手伝うのはごく自然なことで、八百屋の息子は学校から帰れば野菜を売るし、魚屋の息子も学校が終われば魚をさばく。これらは当たり前のことでした。また家業を持つ家は、長男が跡を継ぐのは当然のことで、長男が他の仕事をやりたいなんて言い出すと、ろくでなしのレッテルが貼られてしまうような時代です。

image5 (1)

それでも親父は「お前の好きなことをやれ」と言ってくれていました。しかし子どもながらに、それは親父の本心ではないと気がついてしまったのです。親父の顔や、普段の振る舞いを見ていれば一目瞭然でした。分かりやすいんですよ(苦笑)。それにうちは、私のほかに姉が2人いましたが、男は自分だけ。自分が継がなければ、この店はなくなってしまう。

この現実と向き合い、自分の置かれた状況を今一度見つめ直し、考え抜いた結果、高校卒業後、私は職人の道へ進みました。

 

 

「仕事場は戦場だ!」死ぬまで褒められたことは一度もない

image6

高校を卒業してから、親父の勧めで別の型屋に一年半ほど行儀見習いに行きました。当時、写真製版、つまりシルクスクリーンがはやり始めていたころで、後学のためにも新しい技術を学んでおけ、という親父の考えでした。

ここでの経験は、とても勉強になったなぁと感じています。よその家で家事手伝いをしながら、よその家族とご飯を食べて、仕事をする。おそらく私は、跡継ぎとして期待されていたこともあり、非常に甘やかされて育ったため、生きるって大変だなぁと思い知ったものです。

image7

そうした生活を経て、自分の家に戻り、やっと修業が始まりました。最初は小刀の研ぎ方や作り方から。学校の先生なら丁寧に教えてくれますが、手本を一回見せたら「やってみろ」が基本の世界。彫る技法も「引彫り」や「錐(きり)彫り」など多岐に渡るため、それらの技法に合わせた小刀が必要になります。錐彫りの小刀だけでも30種以上はあるでしょうか。

それらを全て、自分が使いやすいように鋼を研いで作る。小刀は私たちにとって唯一の商売道具ですから、非常に大切なものです。小刀が扱えるようになったら、実際に彫る仕事を少しずつ任せられるようになるわけですが、当然のことながら最初は全く上手くいきませんでした。

image8

親父には「どんくさい」と何度言われたことか(苦笑)。それでも親父の仕事を見て学び、数をこなしていくうちにだんだんと、技を盗んでいきました。しかし、何十年と経った今でも一人前と思ったことはありません。仕事で親父に褒められたことは、親父が死ぬまで一度たりともありませんでしたから。昔ながらの日本男児でしたから、ただ恥ずかしかったのかもしれませんが。

でも私はそんな親父の言葉がとても印象に残っています。

「仕事場は戦場だ」
「雑な仕事をするな、いい仕事をしろ」

幼いころ、私が夜中に目を覚ますと、必ず仕事場の明かりがついているんですよ。中をのぞくと、親父が必死になって型紙を彫っていました。そして翌朝も、早くから平然とした顔で型紙を彫っていました。幼いながらに、親父はいつ寝ているんだろうと疑問に思うほど、仕事に妥協や甘えを許さない人でした。

image9 (1)

非常に難しい人間だったかもしれませんが、私にとっては誇らしい背中を持った自慢の親父です。そんな親父から受け継いだこの技術を廃れさせたくない、という思いは常に持っていますね。

 

 

型紙需要の低下という現実 型紙が向き合う新しい可能性

image10

型紙需要は、本来の染色道具としてみると、減少の一途をたどっています。その背景には着物文化の衰退と、大量生産品の台頭があります。日本では、着物を着る機会がすっかり減ってしまいました。昨今では成人席に振袖や、結婚式に着物をお召しになる方、お祭りで浴衣を楽しむ方が増えましたが、そこで求められるのは大量生産された安い品物や、レンタル商品です。

そのため着物の柄にこだわりを持つ方も少なくなりました。そしてプリントと友禅の違いを理解してくださった”目”を持つ人も、これからますます減っていくことでしょう。しかし、これも一つの時代の答えなのだと思います。

image11

実際、京都の着物需要を数字で表しますと、全盛期が100とするならば、現在は3程度です。それほどまでに、昔ながらの着物は人々から離れてしまっているのです。それに伴い着物の染屋さんも廃業されるところが増えました。そして型紙を使う染屋さんが無くなれば、当然型屋も不要となってしまいます。

image11_2

その影響を受け、現在京都の型屋は片手で数えられるまでに減ってしまったといいます。このままでは、本当に型紙がなくなってしまう。親父から受け継いだ技術がなくなってしまう。こうした状況を打破するために、新たな挑戦をスタートさせました。

 

 

iPadケースなど新商品を続々制作、愛されるものを

image12

今の私は、できる限りのことをしようと考えています。まずは型紙をよく知ってもらうため、多くの方々に協力をしていただきながら、商品制作に取り組んでいます。革の札入れに彫りを入れたり、同じく革に彫りを入れたiPhoneケースやiPadケース、型紙を用いたタンブラーなど。

image13

ここ数年ではありますが、徐々に嬉しい反響が返ってくるようになりました。iPadを持っていなかった人が、私の作ったケースを使いたいがために、私のケースをお買いになられて、後にiPadを購入した方がいらっしゃいました。

image14

また外国人のバイヤーが、私のiPadケースを5、6個まとめてお買いになられたことがあったのですが、後に私の工房を見学したいと連絡をいただき、工房に招待したことがあります。彼は非常に真剣な目つきで仕事を見学していましたね。すると、自分もやりたいと言って、必要道具を一式購入されていきました。

後で通訳の人に聞いてみたら、その方はいつも仕事が忙しく、息が詰まることも多いのだとか。そんな仕事の合間に、型紙を作ることで、子どものころの気持ちに戻ることができる、とても落ち着くことができそうだ、とおっしゃっていたそうです。

日本の型紙文化が、国外の方にも親しんでもらえるなんて、とても感動しましたね。またこうしたお声は本当に職人冥利に尽きます。感無量です。

image15 (1)

この先何歳まで生きられるか分かりませんが、持てる技術を惜しみなく使い、今後も新しい商品制作に取り組んでいきたいです。みんなから愛されるような、「俺こんなん持って
るんやで!」なんて自慢できるような物を作れたらと思います。

そして海外のイベントや実演にも積極的に参加し、何か新しいものづくりへのヒントも見つけていきたいですね。行く末には、型紙文化の復興と、自分の後継者を育てること。これが私の夢です。

そのためにも、一歩一歩確実に、私にできることを全力で取り組んでまいります。