京繍・刺繍文化を守る!伝統工芸士として100種類超の技法を若い人に教えたい

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山下憲子(やました・のりこ)/京繍(きょうぬい)職人

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京都府生まれ。子どものころから家業の京繍(きょうぬい)を始める。高校卒業後、池坊文化学院(夜間部)に進み、学業と平行して仕事をする。叔父の井ノ口寿蔵・実母辰栄に師事。以来、40年以上、仕事および作品つくりに精進。京都府伝統産業コンクール3回入賞。平成9年通産省認定資格”京繍”伝統工芸士資格取得。平成15年度日本伝統工芸士会作品展に入賞、同入選数回。平成17年には日本伝統工芸品産業功労者優賞。現在は、着物・帯を中心に、帯留やショール・バッグなどの作品づくりにはげむ。京都の自宅で教室を開催している。

▼京繍のやました(ブログ)
http://ameblo.jp/kyo-kinuiro/


皆さん、こんにちは。京都の嵐山で「京繍」(きょうぬい)の教室を開いている山下憲子と申します。

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「京繍」とは、日本刺繍のうち、京都で古くから伝わる刺繍のブランド名で、商標登録されています。組合に加入している方のみが使用できる名称です。着物や帯のほかにも半襟やバッグ、袱紗(ふくさ)など、さまざまな小物の装飾にも用いられています。また、刺繍額、掛け軸などのインテリアとしても私たちの心を和ませてくれます。

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一般的な刺繡との大きな違いは、京繍は両手を使うことです。刺繍台に張った絹地に、右手は上から下へ 左手は下から上にと下絵に沿って刺し進めていくことです(逆も可)。左手は針を刺す場所が見えません。左手がうまく使えるようになるまでは、少し時間が必要ですね。

着物にわれる反物は、幅約30cm、長さは13m~16mくらい。生地の目を拾って、一針一針手作業で繍っていきます。ちょっとした刺繡なら1日でできますが、振袖や大きな作品となると、数カ月、あるいは数年かかります。

 

 

祖父、母、叔父と3代続く繍い屋 仕事を手伝うのが当たり前の時代

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私の母の実家は、祖父の代から続く「繍(ぬ)い屋」でした。ぬい屋の仕事は、仲介業者から依頼されたさまざまなものに刺繡を施すことです。祖父、母、叔父たちが職人として働いていました。その仕事を家族みんなで支えていたそうです。

私は祖父の顔は知りません。あとを継いだ母や叔父の仕事を小さなときから間近で見てきました。簡単な仕事を手伝い始めたのは、小学5~6年生のころです。学校から帰ってきて、針に糸を通して並べたりしていました。中学になると、少しずつ刺繍もさせてもらうようになりました。

家業を手伝っているうちに、いつの間にか職人の道にずるずると……自分でいうのもなんなんですが、おとなしく言われたことに素直に従う子どもだったんですね。中学卒業後は、定時制の学校に通いながら、母と一緒に仕事をするようになっていました。

 

 

結婚・出産、28歳で京繍再開 子育てしながら大家族を支える

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私が仕事を始めた昭和30~40年ごろというのは、日本がどんどん豊かになっていった時代です。豪華で手の込んだ着物や帯が飛ぶように売れておりました。

私の家にもひっきりなしに依頼がきて、家族総出でこなしていたことを覚えています。大晦日まで仕事をして、お休みは元旦だけ。次の日からは、展示会、また次の展示会用の刺繍準備をする……というように、次から次へと仕事が舞い込んでくる。忙しいけれどいい時代だったと思います。

25歳のときに結婚。主人の実家に入って2人の子どもに恵まれました。結婚後、しばらく仕事はやめていたんですが、28歳のときに再開したんですね。主人の給料が安かったんです(笑)。この時代の公務員の給料は本当に安かったんですよ。

主人の実家は兼業農家で大家族。ご飯を作ったり、洗濯や掃除をしたり、家の用事を済ませた後、ようやく仕事にとりかかれるのは夜の10時を過ぎてから。

 

体力的にしんどくても、辞めたいと思ったことは一度もない

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忙しくて大変でしたけれど、納品期日には絶対に間にあわせなければいけませんよね。「何とか、明日までに仕上げてくれへんか?」といって持ってこられた急な仕事も、必ず間に合わせておりました。一睡もしないで夜なべをして仕上げることも度々。体力的にしんどい、と思ったことは何度かありますが、もう辞めたいと思ったことは一度もありません。

いまから10数年前に、母とふたりで貼交ぜ屏風をつくっていたときにかけられた言葉が記憶に残っています。二曲一隻の屏風に、仏教に関する刺繡を施していました。母が2枚、私が3枚、1枚が30×40㎝ぐらいでしょうか。一緒に作業していたときに、母からポツリと「あんた、名人やな」と言われました。きっと私を励まそうとして言ってくれたんだと思います。

それから母は私の仕事について、ほとんど何も言わなくなりました。

 

 

20年前から教室を開く 多くの人に京繍の技術を教えたい

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もっと多くの方に京繍の良さを知っていただきたいと思って、20年ほど前から自宅で教室を開いております。生徒さんは全部で10人ほど、いちばん若い方で40歳ぐらいでしょうか。月に1、2度ぐらいのペースでお越しいただき続けておられます。10年以上されている方がほとんどです。一度に1人から2人ほどでのお稽古です。

京繍は、基本の縫い方だけでも10数種類。すべての技法を数えると、100種類を超す繍い方があるといわれています。朝から晩まで針を持ち続けても、一通りの技術が身につくには3~4年はかかります。一人前と認められても自身が納得できる作品は、そうそうありません。毎日の積み重ねが大切で、齢とともに手が覚えていくものだと思います。こう聞くと敷居が高いと思われるかもしれませんが、そんなことは決してありません。

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今、着物を着る機会が減り、付加価値でもある刺繍はほとんど仕事がなくなっている状況です。

この状態での後継者育成は難しいように思いますが、刺繍文化を後世に残していきたいです。着物や帯だけではなく、小物や色紙、お軸や屏風など一針一針手作業で繍うことで、使い手に温かみを感じてもらう作品を作りたい。そして、若い人にもその技を教えていきたいと思っています。

京繍にご興味のある方からのお問い合わせも待っております。自宅のほか、京都の「みやこめっせ」でも、刺繍組合主催の刺繍教室を開いております。一人でも多くの方が関心を持ってもらえたら幸いです。