減少していく「伝統の印章」、子どもたちや若い世代に受け継いでほしい

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望月一宏(もちづき・かずひろ)/甲州手彫印章

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雅号「煌雅」。日本一のハンコの町である、六郷町(現 山梨県市川三郷町)に生まれる。42歳。神奈川県印章職業訓練校卒業後、二葉一成先生に師事。厚生労働省認定 一級印章彫刻技能士 (グランプリ優勝)。経済産業大臣指定 伝統的工芸品 甲州手彫印章 伝統工芸士、厚生労働省 ものづくりマイスター。

▼公式ホームページ
http://www.koga-m.com/

受賞歴
第26回 全国技能グランプリ優勝(厚生労働大臣賞)
第25回 全国技能グランプリ3位
第61回 大印展 近畿経済産業局局長賞(大印展最高賞)
第53回 大印展で史上初の3部門で金賞受賞
第15回 全国印章技術大競技会文部科学大臣賞


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私が生まれた山梨県六郷町(現・市川三郷町)は、ハンコの町と言われるほど、印章作りが盛んな土地です。そこで、私の家は代々印章業を営んでいます。

幼いころは、熱心に印章作りをする父の傍ら、作業場にあるダンボールや木材をおもちゃにして、よく遊んだものです。今思えば、そうして父の背中を見ていた幼いころから、なんとなく自分が職人として生きることを覚悟していたのかもしれません。

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昔ながらの技術力、印章文化を多くの人にアピールしたい

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小学校の卒業文集には「将来はハンコ屋になる!」なんて書いていたくらいです。

現在こうして印章職人として仕事をしていることも、ある意味必然だったのかもしれません。

そして現在、印章業界をとりまく環境は、とても厳しい状況にあります。

機械での大量生産品が流通し、昔ながらの製法で作られる「伝統の印章」が珍しくなるほど減少しています。
そこで、私は培った技術を次世代へと継承しつつ、日本のものづくりを支える職人の高い技術力や印章文化を世界へアピールしていくことで、印章の奥深さや携わる職人たちにも目を向けてもらえるよう、尽力していきたいと考えています。

 

 

大学4年のとき父が他界、日本で唯一の印章訓練校に修行へ

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私が大学四年生のときに父は亡くなりました。

実はこのとき、まだ実家を継ごうとは考えておらず、食品会社への内定もいただき、就職して働く矢先の出来事でした。そして、食品会社で働き始めるも、印章と父のことが頭をよぎる毎日。

そのころの私は、父が生前に私のために作ってプレゼントしてくれた認印をよく眺めていましたね。
そうしているうちに、いつしか印章職人の道へ進みたいと思うようになり、すぐに会社を辞め、父の跡を継ぐ決意をしました。

しかし、父の跡を継ぐといっても、学生時代に少し父の手伝いをしていたというだけで、本格的な修業をしたわけではありません。まずは基本的な技術と知識を身につけるため、神奈川県にある、日本で唯一のハンコの学校である神奈川県印章職業訓練校へ通いはじめました。

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私が在籍していたころは、生徒人数が10人にも満たない状態で、各自がさまざまな境遇を抱えてはいるものの、同じ志を持つ仲間と出会えたことはとても良い経験になりました。
この学校では印章づくりの基礎を学ぶことができ、その後の印章職人としての土台となっています。

2年間の勉強を経てから実家に帰り、正式に家の仕事を継ぐこととなりました。
実家に戻った後も、月に1度は訓練校の研究科に足を運び、さらなる技術の向上を目指して約5年間にわたって勉強し続けました。

 

 

師匠に命名された雅号「煌雅(こうが)」、遺志を継ぐ

▲西レイ印社前で左から4人目が二葉先生、左端が望月さん
▲西レイ印社前で左から4人目が二葉先生、左端が望月さん

そんなときに出会ったのが二葉一成先生です。

二葉一成先生といえば、印章業界に携わる人ならば、知らぬ人はいないほど、有名な方です。
二葉先生の創る印章は、実用品としてだけではなく、芸術品としての評価も非常に高く、印章業界に多大な貢献をされた方でもあります。

その二葉先生が主宰する「檀香会」 山梨教室へ入門し、二葉先生に師事。先生の下で約10年間多くのことを学びました。印章の勉強のために美術館や企画展など多くの場所にご一緒させていただき、ときには海を渡り中国まで行ったこともありました。

お世話になった二葉先生も、今はいらっしゃいません。

私は先生から技術や職人としての心構え以外に、もう一つ大切なものを頂戴しました。

それは「煌雅(こうが)」という雅号(本名以外につける名前)です。

これは先生が私に付けてくださったもので、「望月煌雅」の意味は、「満月が雅(みやび)やかに煌(きら)めく」というものです。また、丸い印影を満月に例えると、雅やかに煌めく印影とも考えられます。

私にとっては大それた名前かもしれませんが、より良い印章を創り続けることが、二葉先生の期待に応えることでもあると考えています。それは同じく、父の遺志でもあると思います。

だからこそ、この名に恥じぬよう、使い手が一生涯共にすることができる、素敵な印章を創り続けたいです。

 

 

印章は持ち主・本人の分身、良い印章の条件とは?

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印章は己の分身であると、私は考えています。

印章は自身の財産と権利を守るという、とても大きな役割を果たします。そのためには、使い手にとって、唯一無二の存在でなければなりません。これこそが、印章の本質的な意義なのです。

また日本社会において、印章は欠かせないものであり、印章を押印する機会は日常に溢れていますよね。
仕事で大切な書類に押印する機会も当然あります。

そして、印章を押印した書類は、複数の人の目に触れることになります。

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その中には、押印した人のことなんて、知らない人も多いはずです。

しかし、印影がある書類を見慣れている人は、印影を見て、良い印章を使っているかどうかを見ているのです。場合によっては、押印した人物の人となりを想像することもあります。

印影は押印した人の分身なのです。

そして、良い印影は、良い印章の最も重要な条件です。

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彫刻文字を手書きして、良い印影の印章を制作するには、制作者の技術と知識、そして一本一本丁寧に仕上げようとする気持ちが必要です。そうして完成された印章を、使い手に満足して使っていただけることが、私たち作り手にとって、なによりも代えがたい幸福なのです。

だからこそ、私は印章を創る際に、他の職人と比べると少し長めに納期を設定させていただいています。
その理由として、ゆっくりと丁寧に制作し、納得できるものを使っていただきたいという思いがあるためです。

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また、こうした仕事をしているため、文字の字源や字体は常日頃から勉強をしています。

 

 

「自分も職人になりたい!」 子どもたちの声が励みに

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私の所属する六郷印章業連合組合では、六郷の商工会館や町民会館での篆刻(ハンコ彫り)体験を行っています。また、山梨県印章店協同組合では、小学校など各学校へ出張し、ハンコ彫り体験を行っています。私の工房でも見学体験を実施しています。

子どもたちは初めて見る印章づくりに、目をまんまるにしてびっくりしながら熱心に見学していきます。
また、実際に体験する子どもたちを見ていると、悪戦苦闘しながらも一生懸命彫っていく姿に心を打たれます。

社会見学に来てくれた子どもたちから、感想文を頂くと「頑張ってください」「自分も職人になりたい」「勉強になった」「面白かった」などの声があり、私自身にとっても非常に励みになっています。

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われわれが小学校へ出向いたときの話ですが、普段は学校を休みがちな児童が、ハンコ彫り体験をするために学校へ登校してくれたことがありました。その子は別室での体験、私が直接指導していたわけではありませんが、その児童が彫った作品を見たところ、これがなかなか上手で感心してしまいました。なにより、印章に興味を持って登校してくれたことが嬉しかったですね。

実はこういったケースは何回かあり、毎回「児童も親御さんも喜んでいた」という報告を受けて、ハンコ彫り体験をやっていて良かったなと、しみじみ思います。

▲全国技能グランプリ優勝作品の印影
▲全国技能グランプリ優勝作品の印影

これからの時代を担う子どもたちに、印章づくりの実演・ハンコ彫り体験を通じてものづくりの大切や楽しさ、難しさを知って興味を持ってほしいと願っています。

将来、ものづくりの仕事に就き、日本のものづくりの技術を支える作り手が増えれば嬉しいです。
そして、彼らがものづくりの文化を守り、発展させていってくれるのを期待しています。

今後も私は、後継者となる若い世代に、印章の魅力を伝えるための活動を続けていきます。

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