平安時代の王朝より伝わる和紙工芸“継ぎ紙”を新しいカタチに

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山下純一郎(やました・じゅんいちろう)/紙彩流作家

profile

埼玉県出身、神奈川県在住。昔から絵を描くのが大好きで、19歳で着物デザインの世界へ入る。すぐに着物の魅力にとりつかれ、デザインに没頭。25歳で独立し、着物デザイナーとしてヒット図案を次々と世に送り出し、成功を収める。そのころから興味を抱いていた継ぎ紙と、着物図案を融合させて絵画として広め、別の角度から着物の世界をアピールしてみようと各地で着物と絵画作品の展示会を開催。以降、継ぎ紙作家として活動を続け、2004年に神奈川県相模原市藤野の山里に工房を開き、現在は「紙彩流作家」として活動。

経歴
1976年 フランス、パリにてグループ展開催
1984年 写真家 秋山庄太郎さんの着物デザイン、松本幸四郎さんの着物デザイン
1990年 ジュディ・オングさんのブランド着物デザイン、ロサンゼルスにて紙彩流展示会開催
1991年 銀座、松屋デパートにて山下純一郎個展開催
2000年 恵比寿、三越にて紙彩流展示販売
2007年 新宿、小田急デパートにて紙彩流展示会開催
2012年 東京ドーム 世界らん展美術工芸部門出品
2014年 パリ マドレーヌ寺院 祈りの美術展 出品
* 東京、三番町倶楽部にて作家活動40周年記念展
* 東京、自由ヶ丘 サロン「風雅」 店内和紙和紙装

主な作品収蔵
徳川美術館、目黒雅叙園、サンパウロ日本領事館、シンガポール日本大使館など


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私は昔から絵を描くことが大好きで、いつかは絵を描く仕事に就きたいと考えており、19歳で着物デザインの世界へ飛び込みました。その後は25歳で独立し、さまざまな図案を生み出して、多くの着物を世に送り出してきました。しかし、着物の需要は年々減少傾向にあり、業界全体としても厳しい状況が続いています。

そんなきに出会ったのが継ぎ紙です。継ぎ紙の作品展を見て、これで着物をアピールしていきたいと考えるようになりました。

継ぎ紙とは、色も紙質も違うさまざまな和紙をいくつも重ね合わせ、金銀の砂子(すなご)と呼ばれる金粉や野毛(のげ)という金箔を細く切ったものをまき、草木や花等を描いて和紙の美しさを表現する、平安時代の王朝より伝わる和紙工芸です。
その技法を用い、まったく新しい継ぎ紙の魅力を、皆さんにお見せしたいと思います。

 

 

憧れのデザイン業界へ、勉強に明け暮れヒット図案生み出す

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私が継ぎ紙作家として活動を始めてから、2014年で40周年を迎えることができました。

19歳で着物デザインの世界へ飛び込んだとき、男が着物デザインをすることに対して、少し照れくささを感じていました。しかし、やってみると意外に面白く、すぐにのめり込みました。

着物デザインの会社へ入ったばかりのころ、部屋には水道やトイレもなく、布団1枚敷いたら他には何も置けない広さの安アパートに住んでいました。庭には小さな井戸があり、毎朝そこで顔を洗っていました。真冬の朝なんかは、水が凍ってしまって、雪で顔を洗ったこともありました(笑)。

そんな生活でしたが、憧れのデザイナーになれたことへの喜びがあり、早く一人前になろうと無我夢中でしたので、不思議とつらさはなかったですね。ここの大家さんであるおばあちゃんが、時々食事に誘ってくれて、「この部屋に住んだ人はみんな出世しているよ」と言ってくれ、大きな励みになったことが心に残っています。

▲目黒雅叙園 オリジナル打ち掛け
▲目黒雅叙園 オリジナル打ち掛け

それからは更にデザインの勉強に明け暮れました。

そして、25歳で独立開業をするころには、次々にヒット図案を生み出し、東京でも一番多くのデザイナーを育て、世に送り出してきました。松本幸四郎さん(歌舞伎役者)や、ジュディ・オングさん(歌手)のブランド着物を手がけたこともありました。

ちなみに、今では夏祭りや花火大会などで、浴衣を着ている人を多く見かけるようになりましたよね。
浴衣は今でこそ若い人に楽しんでもらえていますが、私が独立開業したころは、そんな時代ではありませんでした。

当時の浴衣は寝間着のイメージが強く、柄も古くさいものが多かったため、若者からすればダサいイメージだったのです。

しかし、私は1980年頃すでに、浴衣は必ず若い人たちに認めてもらえるはずだと、確信を持っていました。
当時から、着物を若い人に親しんでもらうには浴衣から始めましょうと提案し、デザインを現代風に一新して販売を行いましたが、「浴衣など、若い人が着るはずがない」と周りから笑われていました。

実際、当時はその浴衣で商業的な成功を収めることができたわけではありませんが、私の考えがやっと世間に浸透してきてくれたと思うと、とても嬉しいです。

 

 

人生において多くのことを教えてくれた、もう一人の親父

▲工房の風景
▲工房の風景

私が着物デザイナーとして、独立開業をして順調に成果を挙げていたころ、とてもお世話になった方がいます。それは、仕事のお得意様でもあり、もう一人の父親として親しんだ、京都の着物問屋の社長さんです

この方との思い出は、今でも忘れることができません。

とにかく着物が大好きな方で、デザインのことになると見境がないほど熱心でした。
あるとき、社長と着物の図案を見ていると「アンタ、今日はいい柄のネクタイをしているなぁ、着物柄の参考にしたいので部分を少し切らせてくれ」と言って、はさみでチョキンと切られてしまったこともありました(笑)。

▲サイエンスボード作品
▲サイエンスボード作品

また、私の図案がよく売れたとき、嬉しくて社長に報告をしに行ったことがあります。そのときの会話の中で、気分が良くなり、帰りは新幹線のグリーン車で帰ると言ったところ、「上手くいったときに、贅沢を覚えると癖になるからやめておけ。むしろ悪いときにグリーン車に乗って気分を変えろ」と言われるなど、デザインに対する熱意だけではなく、本当に多くのことを教わりました。

社長の晩年は、少し物忘れが多くなっていました。

それでも私が社長に会いにいくと「アンタか」とニッコリ笑って迎えてくれました。

 「まだまだお元気そうではないですか」
社長 「最近は物忘れが多すぎてダメだ、ところでアンタの生まれはどこだっけ?」
  「埼玉の秩父です」
社長 「そうだったなぁ、私も東京の着物問屋にいたころは、よく秩父まで仕事で行ったものだよ、当時は泊まりでないと行けない時代だったんだよ」
 「今では想像もできませんね」
社長 「夏の海水浴は品川でできたんだぞ。新宿の中村屋のカレーが美味しくてねぇ。そういえばアンタの事務所は代々木だから、すぐ近くだったなぁ」
 「よかったらまた無理してでも出かけてくださいよ」
社長 「もう東京までは無理だろうが懐かしいなぁ、ところでアンタの生まれはどこだっけ」
 「埼玉の秩父です」
社長 「そうそう秩父にはよく行ったよ、ところでアンタの…」

時間ある限り同じ会話の繰り返し、最後はおかしくて吹き出す程の良い思い出です。

 

 

伝統の継ぎ紙を現代アートへ!”紙彩流”山下純一郎が魅せる

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私が「紙彩流(しさいりゅう)」として創る継ぎ紙の作品は、和紙を貼り合わせた上に絵を描く、装飾絵画と呼ばれる、これまでにない特別なものです。また、平面だけではなく、立体にも応用できることが「紙彩流」の特長といえます。

そのため、伝統の継ぎ紙と同じものをそのまま再現する、保存会の類とは少しだけ違います。
「紙彩流」は、その技法を用いて、継ぎ紙を現代と融合させ、インテリアや芸術品を創造するのです。

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私の作品は、和紙の持つ「柔らかな色」「温かな色」「含みのある色」や、紙質の「厚薄(こうはく)」「透け」などの違いを使い分け、ちぎったり、破いたり、何枚も重ねて貼り合わせていきます。出来上がったベースに、花鳥風月といった日本の古典絵画から、現代の風景画まで、様々な絵を描き入れていくのです。

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もちろん、絵画作品以外でもさまざまな作品を創っています。雛人形用の屏風(びょうぶ)は業界で大ヒットを記録しました。他にも、障子(しょうじ)や、壁面装飾用のパネル、ガラス花瓶に継ぎ紙をあしらったインテリアなども創作しています。私の作品を展示する展覧会も開催しておりますので、機会があれば是非ご覧になっていただければと思います。

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私はワークショップを行うこともあるのですが、子どもたちに人気が高いのが石に継ぎ紙をあしらった「紙彩石」です。川原で拾った天然石に継ぎ紙をあしらい、美しい石に仕上げるのです。作業の説明をしているときはいいのですが、みんな作業に入ると、私の声が届かないほどに集中していますね(笑)。

伝統を継承していくためには、伝統の中にも革新的な発想を取り入れ、その時代に合った新しい作品を創ることが大切です。また、次世代を担う子どもたちに伝えていくためにも、ただ作品を創るだけではなく、実際に見て、触れることができるワークショップにも力を注いでいきたいです。

 

 

日本の伝統と、才能ある若き作家たちの未来を守るために

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2014年に、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産として「和紙 日本の手漉(てすき)和紙技術」が登録されました。そのおかげもあり、和紙は世界中から非常に注目されています。

しかし、注目されているときはいいのですが、時が過ぎ、熱が冷めてしまえば、その注目も徐々に失われていきます。

それはどの業界でも同じであり、当然作家にも当てはまります。
ブームが去れば、作品が定価の10分の1で買い叩かれることも当たり前の世界です。

▲「世界らん展出品会場」東京ドーム
▲「世界らん展出品会場」東京ドーム

また、日本には腕の良い絵描きや、作家が数多く存在しています。

その多くは、自らをアピールすることができず、日の目を見ることなく、終わってしまうことがほとんどです。

これらの現状を打破するためにも、私はそうした人たちを集めて、日本の浮世絵や屏風も、外貨を稼ぐことができる、一つの産業として成立させたいと考えています。2020年の東京オリンピックは、日本の着物や和風絵画を世界に向けて発信する良いチャンスです。
そのために私は、外国人の感覚を学び、研究し、効果的に世界へアピールしていきたいと思っています。