友禅の道30年!本格的な世界進出で“ホンモノの日本”を伝える

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笠原以津子(かさはら・いつこ)/手描き友禅作家

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神奈川県横浜市出身。東京都中野区にて3年間、無線友禅を師匠の下で修業。修業を終えた後、さらなる技術向上のため、新宿区在住の伝統工芸士から、糸目友禅を学ぶ。その後独立、荒川区伝統工芸保存会に所属。読売文化センター各地で友禅の講師就任。東京都青年の部卓越技能賞受賞、東急百貨店にて個展開催、2014年パリ・ジャパンエキスポに出展


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私はもともと絵が大好きだったこともあり、ある出来事をきっかけに友禅の魅力にとりつかれました。

地元横浜を離れ、東京で7年間友禅の技術を学んだ後に独立。その後も多くの友禅を手掛け、いつの間にか30年という月日が流れました。

この30年で培った技術を次世代へ継承するのはもちろんのこと、もっと友禅を世界へアピールしていきたいと考えるようになりました。友禅といえば、国内であればその認知度も高いですが、世界的に見ればまだまだです。

私は、もっと多くの人に友禅の美しさ、素晴らしさを知ってもらいたいです。

 

 

着物好きの家庭で育ち、絵を描くことが大好きだった幼少期

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私は神奈川県横浜市に生まれました。父は普通のサラリーマンでしたし、本当にごく普通の家庭でした。

少し他の家庭と違うところがあるとすれば、母と祖父が無類の着物好きだったということです。

母と祖母 も、日常的に着物を着て生活していたので、常に着物が身近にある環境でした。幼いころの私も、よく着せてもらったものです。

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そんな私ですが、当時は着物に愛着を持っていませんでした。

小さいころって、可愛らしい洋服に憧れる時期があると思うのですが、当時の私の周りには和服や和物ばかり。その反発で、嫌っていた部分もあったのかもしれません。

また当時は、習い事を6歳の6月6日から始めると、覚えが良いなんて言われており、そのころ私は日本舞踊のお稽古に通わされました。バレエに憧れていた私は嫌々で仕方なかったのですが、そのおかげで、自分で着物を着られるようになりましたし、着物の作法も勉強することができたので、今思えばいい経験でした。

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その半面、絵は本当に大好きでした。

出かけるときはいつも鉛筆と紙を持って、電車の中でもお絵描きをしていたくらいです。

このときは、もちろん友禅なんてまったく知りませんでしたが、将来は絵を描く仕事に就きたいという漠然とした思いはありましたね。

 

 

“友禅の弟子募集”広告に応募 若さと熱意で採用される

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1年半の社会人経験を積み私が23歳になったころ、そろそろ友禅の世界へ入ろうと思い、アパレル関係の会社を退社し修業先を探し始めました。

当時(30年前)は、インターネットも普及しておらず、ハローワークや雑誌、新聞での求人情報に頼るしかありませんでした。友禅の仕事をなかなか見つけることができずにいましたが、3ヶ月くらいたったある日、読売新聞の「友禅の弟子募集」という広告を見つけて、早速面接に行きました。

そこで私は驚きました。

先生が描いた友禅は、まさに私が求めていたものだったのです。
真っ白な帯に上品な椿を素描きした、美しい友禅。
見た瞬間「私の一生の仕事だ!」と確信しました。

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1名の募集に対して応募人数が30名以上もいて、採用してもらえるか心配でしたが、応募者の中で私が一番若かったことや、私の熱意が先生に通じたのか「体力勝負のため、横浜から東京に毎日通うのは無理だと思うので、近くに住むこと」を条件に、弟子入りを認めてくださいました。

母も「友禅のためならそうしなさい、応援するから」と、私を送り出してくれました。

そうして、手描き友禅の職人としての第一歩を踏み出すことができたのです。

初日の仕事は先生の描いた反物(たんもの)を巻くことでしたが、反物のしなやかな手触りがたまりませんでした。友禅に触れるだけでも、嬉しくて仕方がないといった感じでしたね。

翌日には下絵を任せてもらい、そこから2週間後には実際に絵を描くことになりました。
友禅は布に色を挿していくため、当然にじみます。そのため、やり直しは許されません。
しかし、私はそんな緊張はどこ吹く風といった感じで、気後れすることなく色を挿していき、周りを驚かせました。
昔から度胸だけは一人前だったみたいです(笑)。

 

 

“糸目友禅”学ぶため、先生の下を離れ新しい学びの場へ

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修業開始から3年が経過し、技術を習得した私は、新たなステップへ進みたいと考えるようになりました。その新たなステップとは「糸目友禅」を学ぶこと。

友禅の手法は「糸目友禅(絵の輪郭を糸目と呼ばれるノリで描いて防染し、その中を彩色する友禅)」と「無線友禅(糸目を使わずに直接彩色する友禅)」に分けられるのですが、私が3年かけて学んだのは「無線友禅」なのです。

先生から外注で仕事をしてくれないかという、せっかくのお誘いも断り、先生の下を離れて「糸目友禅」を学ぶ道を選びました。何かを得るには、思い切って何かを捨てなければならないと決断をしたのです。

それから「糸目友禅」を学ぶために、勉強ができる友禅教室へ4年間通いました。
そのおかげで、自分が納得できる最低ラインまでは、技術を習得することができたと思います。

 

 

実演・展示イベントを通し、自分の名が刻まれることに感動

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修業を終えた私は独立をした後、東京都荒川区の伝統技術保存会に所属しました。

この保存会では行政の協力もあり、多くの展示会を行っており、幸いにも荒川区の伝統技術展20周年記念イベントに私も参加させてもらうことができました。

これが初めての人前での実演・展示です。
畳3畳ほどのブースを与えられ、非常に緊張しながらでしたが、なんとか上手に実演をやりきることができました。そして、何より感動したことが、私の名前「笠原以津子」という活字をあちこちで見かけたことでした。
パンフレット、ブースの上、ポスター、ちらし、新聞など…。

こうして日の目を見るときが訪れるなんて、想像もしていなかったので、本当に夢のような経験でしたね。

このときの感動は忘れることができません。

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実は、丁度このころに、読売新聞の取材を受けたのですが、その記事を見た読売文化センターの支配人が「友禅講座を開く予定だったが担当講師の都合が悪く、代わりに講師をしてくれないか」というお誘いを受けました。

最初は「教えることは苦手だし無理だろう」「代打なら嫌だ」なんて思っていましたが、ある人に相談したところ「教えることは何よりの勉強になるからやってみたら」と助言をもらい、試しにやってみることにしたのです。
どう伝えたらいいものか、迷いや葛藤もありましたが、紆余(うよ)曲折があり現在まで20年以上続けさせてもらっています。

この講師の経験を経て、もっと多くの人に友禅を伝えたいという思いと、継承していきたいという使命感が、一層強くなったように感じます。

 

 

どんどん外に出て、お客様の生の声を聞きにいきたい

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しかし、全てが上手くいった訳ではありません。

当時、もっと友禅を知ってもらいたいという思いから、百貨店に出品することを目標として動いていたのですが、人脈のない私を取り合ってくれるところはありませんでした。
地元の職人さんが企画会社の話をしていたのを耳にして、早速調べて電話をし、出品してもらえるよう お願いをしました。このとき、担当の方に私の作品を見せたところ、非常に気に入ってくれて、個展やグループ展に参加させてもらえるようになりました。

私はそこで現実を思い知りました。
グループ展では、雑貨や小物を展示している方が多く、友禅は私一人だけでした。
そんな中、商品が売れていくのは他の人ばかりで、私の友禅は一つも売れませんでした。
お客様からは「綺麗だけど、使うのがもったいない」という声を頂くことが多かったですね。

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ただ綺麗なだけでは売れないこと、実用的なものでないと売れないこと、描いたものを広げて置いておくだけでは売れないことを思い知り、自分の友禅を見つめ直すきっかけにもなりました。

このときの企画会社の担当者が言った言葉は、とても印象に残っています。
「田舎から出てきた女優の卵が綺麗になっていくように、作品も人に見られて綺麗になっていくもの」だと。

人に見られて綺麗になっていく、家に引きこもって描いているだけでは進歩がないということです。
そのため、私はお客様の生の声が聞ける、講師や実演、展示イベントに積極的に参加しています。
もっと素敵な友禅を創るために。

 

 

堅物な職人にはならない「どんなことでもチャンス、行動」

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私が手描き友禅を継承していく上で、気をつけたいと心に誓っていることがあります。

これは私が修業時代の戒めです。

それは堅物な職人にはならないということ。
職人の世界は、「職人気質」「職人肌」という言葉があるように、日々家で仕事と向き合い続けていることで頑固で堅物、無愛想な人間になりがちです。

これでは、後継者不足に拍車をかけるだけではないでしょうか。
一つの世界へ没頭することは、とても素晴らしいことですが、それでは視野が狭くなりがちです。
常に360度周りを見まわして仕事をしていかなくてはなりません。

私は今後さらなる海外の進出を目標としています。
2014年にパリで友禅の展示を行ったのですが、そのときの外国人の感覚や反応には、とても刺激を受けました。また、外国人に手描き友禅を教える機会がいくつかあるのですが、大変な好評をいただいています。ドイツワインのラベルのデザインなどの依頼もあり、海外に手描き友禅が広まる可能性を感じています。

「目標を定め、どんなことでもチャンスと思い、行動すること」。
これが私のモットーです。