学生時代から陶芸一筋!伝統ある京都で新しいトレンドを生み、名を馳せたい

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藤原芙由美(ふじわら・ふゆみ)/陶芸家(陶芸作家)

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京都府で生まれ育つ。幼いころから陶芸に触れ、高校、大学、訓練校で陶芸を学び、清水焼の窯元で3年間ろくろ師として修業後、産業技術研究所にて釉研究。2014年4月から独立、自身の工房である「芙蓉窯 せらみ屋」を開窯。

ブログ
http://s.ameblo.jp/fuyougama-seramiya


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数多くの伝統産業が受け継がれる京都で生まれ育ち、気づけば私の隣にはいつも陶芸がいました。今思えば、泥だらけになって泥団子を作って遊んでいた子どものころから、すでに私の道は決まっていたのかもしれません。もちろん陶芸で食べていくなんて考えはありませんでしたが、中学のころには陶芸を本格的にやってみたいと思うようになり、気がつけば高校生、大学生になっても、土を触る毎日。京都の有名窯元の元で修行を積んだことをきっかけに京都で作品を作り続けていきたいと心に決め、陶芸の魅力はずっとあせることなく、現在に至ります。

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もちろん失敗も多く、試行錯誤の連続ではありますが、窯から作品を出すときのワクワクや、理想の色を出せたときの喜びは何ものにも代えることができません。そんな陶芸の仕事と一生かけて付き合っていきたいと思います。

 

 

ろくろを回すことが何よりの楽しみだった学生時代

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私は幼いころから何かを作ることが大好きでした。小中学校では、よく泥団子を作ってそれにデコレーションをして遊んでいたり、夏休みの公民館で開かれる陶芸の体験教室や、旅行先でも陶芸体験をしたりと、とにかく土に触れることが大好きでした。

そのため、高校では陶芸を本格的に学びたいと思い、陶芸が授業の一環に組み込まれている京都市立洛陽工業高等学校へ進学しました。しかし、1、2年生は陶芸の授業がないんです。陶芸以外にも織物や染色など、多ジャンルを勉強する場所でしたから。でも、どうしても陶芸を勉強したかった私は、自分で清水焼の窯元を探し、お願いをして、高校卒業するまでの3年間、毎週欠かさず陶土の練り方から造形の基本に至るまで、必死になって勉強しました。

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その勉強がとても楽しくて、「別のことをして遊びたい」とか「辞めたい」なんて思ったことは一度もありませんでした。むしろ週に一回やってくるその日が楽しみでしかたなかったです(笑)。その後、大学に進学して卒業するまで、可能な限り通い続けて、ろくろを回し続けました。高校1年生から約7年間通い続けたことになります。

窯元では器や壺など、ある程度決められた形を作ることが多く、自由な創作をすることはほとんどありませんでした。そのため、それまでの反動なのか大学在学中は、今までできなかった自由な創作をしてみたいと思い、植物をモチーフにしたオブジェを創っていました。花や木のオブジェを創って地面に挿してみたり、ちょっと変わったことをしていましたね(苦笑)。

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そうして学校でも、学校の外でも土に触れる生活を7年間過ごし、大学卒業を間近にして自分の進路を考えたときに「陶芸を続けたい」「これを仕事にしたい」と真剣に考えるようになりました。当時両親は普通の会社に就職をしてほしいと言っていたのですが、どうしてもやりたいという私の意志をくんでくれて、本格的に陶芸の道へ進む覚悟を決めました。

 

 

仕事の厳しさを学びろくろ師として修業 そして独立へ

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大学卒業後、陶芸の訓練学校(京都府立陶工高等技術専門校)に1年間通い、無事に清水焼の窯元である「丈夫窯(じょうぶがま) 」の加藤丈尋先生の下へ就職することができました。清水焼は、正式には京焼清水焼といい、京都の地で焼かれたもの全てを指します。だから清水焼と一言で言っても、その形、色、模様は多種多様で、それぞれの窯元でいろいろな作品が作られています。そんな中でも加藤先生の作品は、華やかで美しくうっとりするような飾り壺だったり、力強いガツンとした大壺だったり、今までに触れたことのない物たちばかりで「あぁ、素敵やな」と感じたんです。

丈夫窯での経験はあらゆる面で非常に勉強になりました。私はろくろ師として3年間仕事をさせていただいたのですが、加藤先生には大変よくしていただき、ものづくりにおける技術はもちろんのこと、心構えや精神も教わったように思います。

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当たり前の話ですが、今までは失敗してもそれは練習と言えば済む話だったのが、仕事となるとそうはいきません。一つ一つにお金がかかっていて、売れるものを作らなくてはならない。自分では上手にできたと思っても、商品として見たときにダメということもあります。作品として見る目と、商品として見る目は違うのだと思い知りました。

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特にろくろ師は、焼成する前の状態(素地)を作る仕事ですから、お客さんの理想を形にする仕事であるともいえます。だからこそ、自分の主観や個性を出してはいけないのです。技術はもちろんですが、ものづくりで生活することの厳しさを痛感しました。

3年間という修業の中には、他にも数え切れない程の学びがありました。芸術の域に達した作品を見ると、時を忘れて眺めていられます。先生には、そんな素晴らしい作品づくりに関わる機会をたくさん与えていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。そして、そんな素晴らしい作品や、伝統工芸が継承される京都の地で、自分も作陶していきたいと思うようになりました。修業を終えた私は、これから自分の力で、京都の地で勝負していくんだという決意を胸に独立を決め、自分の工房である芙蓉窯(ふようがま)を立ち上げました。

 

 

幾度も繰り返される釉の研究 やっとたどり着いた理想の色

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私は修業を終えてから、すぐに開窯したわけではなく、釉の研究所(京都市産業技術研究所)で、釉について1年間研究をしていました。ろくろ師をしていたころは、成形することはあっても、釉を調合したり、もっと言えば窯で焼成することがありませんでしたから。

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学校に通っていたころは釉に触れる機会も多かったのですが、ブランクもありましたし、独立後は自分の”色”を出したいと考え、釉についてあらためて研究しようと思ったのです。

釉の調合を何度も繰り返し、3センチくらいのピースに調合した釉をかけては、焼き上げ、理想の色を求め続けました。あらゆる組み合わせを記録しながら、何度も何度も試していくのです。もちろん色だけではなく、釉の溜まり方、流れ方など、焼いた後の質感も見ながら、数え切れないほどの実験を繰り返しました。

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そうしてなんとか形にできたものが、”乳濁釉(にゅうだくゆう)”と”赤色の無鉛上絵(むえんうわえ)”という2色。落ち着いた雰囲気を持ちながら、平面ではない立体感を持ち、独特の発色をする乳濁釉と、朱色とも違う落ち着いた深みのある赤。

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この”色”が私の作品の特長であると言われるようになりたいです。しかし、正直なお話ですが、まだまだ同じ色を安定して出すことは難しく、ときには失敗することもあります。今はこの2つの”色”を、安定して出せるようにすることが、目の前の目標でもあります。一番の理想はお客さまが作品を見たときに「あ、これ藤原芙由美の作品じゃない?」と言っていただけるようになることですね。釉をまだまだ使いこなせていないため、おこがましい考えですが…。

 

 

流行を取り入れる、スワロフスキー×陶器アクセサリー

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私は器以外に、陶器で作ったアクセサリーも多く作っています。もともとは大学生のころにビーズアクセサリーを作っておりました。それを陶器で応用できないかな、と考えて作り出したことが始まりです。

また室内光でも天然光でも、独特のつやと輝きを放つスワロフスキーの特性にひかれ、陶器と組み合わせてみると非常に相性も良く、スワロフスキーと陶器を使ったアクセサリーを作るようになりました。

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アクセサリーは身につける物なので、トレンドはどんどん取り入れていきたいです。パステルカラーが注目され始めたときは、パステル色を意識しますし、コットンパールがはやっていれば、それを柔軟に取り入れます。形も小さくてシンプルな物が求められる傾向があれば、そのトレンドに合わせて変えていきます。

服のトレンドが変われば、アクセサリーも同じように変わっていくので、世間の流行には常にアンテナを張るようにしています。

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アクセサリーを作り始めて、嬉しいこともたくさん増えました。催事やクラフトマーケットに出店すると、幅広い年齢層の女性から「素敵ですね」「いいわね」と言っていただき、手に取り、買ってくださるんです。中でも心に残っているのは、私の友達が地元に帰ってきたときに「そのアクセサリー、私の友達も使ってたよ」と伝え聞いたときです。

友達の友達なので、直接の接点はありませんが、遠い地で私のアクセサリーを買って可愛がってくれている方を思うと、なんだか心がジーンとしてしまいました。この話はもう結構前の話なのですが、忘れることができませんね。

器は基本的に家の中で使うものですが、アクセサリーは外に出て使うもの。そのため、使っている本人以外の反響がさまざまなところから見えてくる。これはとても面白いと感じています。

 

 

目指すは個展 認められるような実力と自信をつけたい

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私は器にしても、アクセサリーにしても、プロの目から評価されたことはありません。
それに加えて陶芸の家系に生まれたわけでもないため、後ろ盾もなく、自分の実力や作品に大きな自信があるわけでもありません。

だからこそ、公募展での入賞を目指したいです。公募展では造形美や芸術性を追及する必要があります。どういった作品を創ろうかについて、日頃の仕事をこなしながら日夜考える日々が続いています。

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私がものづくりの上で大事にしていることは、フォルムと釉、そして使い心地です。使ってもらうための物を作りたい。使い心地という意味では、公募展はそうした意図から離れてしまうのですが、公募展での入賞を果たすことで、技術の向上にもつながり、目標でもある個展への道も開けてくるのではないかと思います。

グループ展は何度か経験もありますが、個展となれば、その人の作品を見たいから、大切な時間を割いて足を運んでくださる。とても名誉なことだと思います。

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私が個展を開くことができる作家になれたら、そこでは芸術的なものだけではなく、皆さんに可愛がって使ってもらえるような「使用できるもの」も、たくさん提供できたらいいなと思います。